高校時代は毎日渋谷でパラパラの練習「300曲覚えた」
高校入学後には本格的なギャルとなり、毎日のように渋谷に通った。やることはもっぱら、プリクラの交換とパラパラの練習だ。
「ギャル友だちと集まって、ストイックにパラパラの練習をしていました。手の角度とか極めて300曲くらいは覚えましたね。もちろん、全く勉強はしなくなった(笑)」
ギャルが大好きで雑誌『egg』に憧れ、浜崎あゆみを神と崇めており、ほかにやりたいことは特になかったという高校時代。だが、3年生になると、一念発起して猛勉強を開始。髪を黒く染め、入試を乗り越え、4年制大学に進学することができた。ギャルサーに出会ったのもこの時期だ。
「カラオケでバイトしていたとき、一緒に働いていた女の子から『ギャルサーに入らない?』と声をかけてもらったんです。ギャルサーには、きれいめな白ギャルと派手な黒ギャルがいて、その子から勧誘されたのは白ギャルのほうでした。
でも私が好きだったのは、明るいメイクとファッション、元気な小麦色の肌でめっちゃ派手で強めな盛り黒ギャルでした。だから、そのお誘いは断って、黒ギャルのグループに入ることにしました」
ギャルサーの主な活動は、クラブでイベントを開催するために毎週ミーティングを開くことでしたが、実際には一年中遊んで、パラパラを踊っていたそう。なちゅは当時のことを「本当に楽しくて、一生渋谷でこのメンバーとギャルをやっていたかったと振り返る。
「ギャルの中には帰る場所がなかったり、家庭環境があまりよくなかったりする子も少なくないんです。そういう子も話すと心が優しくすごくいい子も多くて、ギャルって恐い子ばかりではなく、心根がキレイな子が多いと感じました。
まわりのギャルになりたい子たちにギャルってこんなに楽しいんだよ! 一緒にギャルやろうと伝えたりしていたら、最初は6~7人だったけど、最大50人くらいになっていました」
しかし、ギャルサーも大学のサークルと同じように大学3年生のときに引退することになる。
「ギャルサーの活動が楽しすぎて、その先の未来なんて考えられませんでした。後輩は自分の子どものように大切だったし、『ずっとここにいればいいじゃん!』って本気で思っていました」
2006年に大学を卒業したなちゅ。「この先どうしよう」。そう悩んで、考えて、出した結論がタレントになることだった。
SDN48の最終オーディションで「天城越え」を歌い、秋元康に見初められた
「タレントを目指したのは、面白いことが好きだったから。青木さやかさんのような女性タレントになりたくて、ワタナベコメディスクール女性タレントコースの1期生を募集していることを知り、受講しました。一応卒業はして女ピン芸人にはなったんですが、全然売れなくて(笑)。オーディションに行っては落ちて、というのを2年くらい繰り返しました」
そして2009年、事務所のマネージャーから「SDN48のオーディションを受けないか」と声をかけられた。
「あきもってぃ(秋元康)プロデュースのアイドルグループということは知っていたのですが、私以外にも女芸人がたくさん受けていて、ちょっと変わったオーディションでした。とはいえ、『どうせまた落ちるんだろう……』と思いながら臨んだら、2次、3次とどんどん女芸人が落ちていくなか、最終オーディションに残った女芸人は私だけでした」
最終オーディションまで残っても、全く自信がなかったというなちゅ。どうせ落ちるならと、全力で立ち向かうことに決めた。
「『みなさーん!こんにちはー!』って、ギャルサーでよくやるような元気なMCで入ってきて、『天城越え』を歌いました。ド派手なギャルが演歌を歌うギャップがよかったのか、審査員席にいたあきもってぃが笑ってくれて。合格しなくてもこの場が盛り上がったからそれでいいやという気持ちだったんですが、当初用意されていなかった『MC枠』で、まさかの合格だったんです」