政治と官僚の役割
服部 国家債務や国債の問題に関し、政治と官僚の役割について、どのようにお考えでしょうか。
神田 私は全く対立的に捉える必要もないと考えていますし、多くの政治家の方々と一緒に悩んでいるところがありますね。教科書的に言うと代議士や政府の役割は、国民の声を受けとめ、時には国民を説得して、より良い国家のための政策を法律や予算のかたちで実現するということだと思います。一方、官僚も客観的・専門的な分析や幅広いステークホルダーとの議論などを通じて最適な政策の案を作る一方、国会で議決が得られれば、しっかりとそれを効率的、効果的に執行するという役割です。それらは補完的というか、一緒に政府を運営してるわけで、本来、より良い社会のために、良い政策を作って、それを執行するというのでは同じだと思うんですよね。
悩ましいのは、政治家には選挙があるし、メディアだって、視聴率や購買部数などがあり、本当は正しいことばかり言ったらよいのですが、そうともいかないわけです。最終的には世論全体が高まらないといけないところがあり、結局、国民にしっかりと客観的な情報を共有して、時には将来のために、苦い薬でも、必要な政策を訴える、これもリーダーの役割、政治家の役割です。
官僚はリーダーではないですが、その一端を、担わなければいけないという意味で、やらなければいけないことは同じだと思います。ネット環境は情報のアクセス、伝搬を画期的に民主化、効率化した一方、エコーチェンバー、フィルターバブル、さらにはクォリティチェックのないフェイクニュースが氾濫するリスクで、世論の分断、過激化やデマの席巻といった深刻な問題も惹起しています。このような環境において、一層、官僚は、謙虚な姿勢で、古今東西の客観的事実を把握、科学的知見を学習し、幅広くステークホルダーの話を拝聴したうえで、論理的に分析、企画立案し、政治家や国民に正しく透明性をもって共有しなければならないし、それだけ、やりがいのある仕事となっています。
債務問題は、将来世代に負担を押しつけてはいけないし、破綻リスクを考えなければいけないのですが、残念ながら、次の選挙だけを見て、短期的な成果を重視するために、長期的な本来必要な議論ができない現状があります。これは今の社会にとってよくないだけじゃなくて、次世代に対してアンフェアだとも思います。もちろん一部のインフラは残るかもしれませんが、今われわれがやってることは、まだ主権者にもなってない人たち、あるいは、まだ生まれてもない人たちに負担を押しつけている可能性があるわけです。
日本でちょっと不幸だなと思うのは、若い人ほど、自分たちの利益にならないようなことを考えているようなところがあることです。例えば、国民の過半数が財政赤字はある程度問題であると考えているものの、歳出において一番大きい社会保障に問題意識がいかず、政治の無駄遣いが問題なんだという議論が一番なされるわけですね。客観的には社会保障が財政赤字拡大の主因なことは明らかなので、これを議論しなくては財政がよくなるわけがないんですけど、そこにギャップがあります。国民への客観的な情報共有には私も長年、努めてきたつもりですが、我々の力不足のせいで、なかなか問題の本質の認識が伝わらなかったことを申し訳なく思っています。
どうしたらいいのかは本当に難しい問題です。例えば、経済的に成功しており、また満足度が高いとされているスウェーデンなどは、1990年代に財政危機があったわけですよね。そのときに政治家と官僚が連携して、透明性の高い政策作成プロセスを構築しました。諦めることはなく、何かできないのかなと考えています。