「神宮球場は神聖な道場です」(広岡達朗)
「優勝の瞬間? よく覚えていないなぁ……」
電話の向こうの広岡達朗は、困惑した様子で言った。すでに92歳となっている。半世紀近くも前の出来事だ。記憶が曖昧なのも仕方がない。
それでも、当時の状況を事細かに説明し、当時の選手たちから聞いたコメントを伝えていくうちに、少しずつ記憶の奥底に眠っていた感情が呼び起こされていくようだった。
「そうそう、あのときは優勝と同時に観客がグラウンドになだれ込んできて、収拾がつかない状況の中で胴上げをされたんだ。選手たちに胴上げされながら、興奮したファンの人たちが狂喜乱舞しながら取り囲んでいる。ある種の恐慌状態だったと言えるでしょうね」
球団史上初となる優勝監督となった広岡さんは早稲田大学野球部員として、大学時代から神宮球場で活躍した。神宮球場の思い出について尋ねると、少しだけ饒舌になった。
「私は広島の呉から上京して早稲田に入学した。当時から、神宮球場は憧れの球場ですよ。初めてグラウンドに足を踏み入れたとき、試合に出たとき、いずれも震えるような興奮と感動を覚えたものでした。何しろ、学生野球の聖地なんだから」
ちなみに、明治神宮外苑が1977年に発行した『半世紀を迎えた 栄光の神宮球場』には、この時期の思い出を語る杉下茂のコメントが掲載されている。明治大学から中日ドラゴンズに入団し、「フォークの神様」と呼ばれた大エースである。
神宮球場は接収されていましたから好きな時間に使えるはずもなく、たしか早大とのゲームであったと思いますが、午後もおそくの試合開始で九回近くには暗くなりました。その翌日、二回戦でしたが、朝八時か九時からのゲームです。これを連投したのですが、あの食糧事情でしょう。これはこたえました。
この『栄光の神宮球場』には、当時ヤクルト監督だった広岡氏のコメントも掲載されている。
神宮球場は神聖な道場そのものでした。
それから半世紀近くが経過した今、改めてこの言葉を広岡さんに伝える。受話器の向こうで、彼は静か口調で言った。