「ヴィレヴァンらしさ」を担保できるキャストも減っている

さらに、ヴィレヴァンの「選択と集中」で考えるべきは、「キャストの問題」だ。つまり、そこで働く人の問題である。

ヴィレヴァンでは、創業当時から、そこへ通う客がヴィレヴァンに勤めていく、という流れがあったという。特に創業者である菊地の本を読むと、菊地が始めた店に来ていた客が自然と店員になり、彼らが独立してまたヴィレヴァンを別の場所に開いて……という風に自然に「ヴィレヴァンらしさ」が継承されてきた。

例えば、ヴィレヴァンの特徴として、その商品を紹介する黄色いPOPがある。その商品がウィットに富んだ言葉で紹介されているのが特徴だが、このPOPの作り方なども、初期のうちは、自然と伝承されてきた。この意味で「キャストの教育」が自然と行われてきたのだ。

手書きのPOPが印象的
手書きのPOPが印象的

しかし、興味深い話を聞いた。「ヴィレッジヴァンガードを全店まわるひと(ヴィレ全)」として、全国各地のヴィレヴァンをまわる活動をしている人がいる。

私は彼にインタビューをしたことがあるのだが、そのときに彼が述べていたのは、そのような「ヴィレヴァン好き」でヴィレヴァンに入り、かつて菊地が目指していたような店舗づくりを自然と継承できるような人が減ってきたということだ。

実際、ヴィレ全さんが店舗を見ていると、POPの書き方がわからない若い店員が増えているのだという。さまざまな店員さんから話を聞くうち、そのPOPの書き方を適切に継承する人がいなかったことがわかった、と社員育成の問題を挙げる。「ヴィレヴァンらしさ」を持った人が減少していくのは仕方がない。創業者である菊地が会長となった現在、その姿を直接知り、継承している人は少ないからだ。

しかしそこで適切な教育がなされなかったことで、結果的に、その世界観の「らしさ」を担保する人材が減ってしまった。まさに、これも「選択と集中によるテーマパーク化」の側面が薄くなっていった理由ではないだろうか。