「やおいを駆逐しないと…」
プロである吾妻がそんな同人誌を企画した背景には、当時のコミケットで「やおい」(主にアニメや漫画の作中人物に同性愛を演じさせた二次創作)が席巻しているのを見て、「美少年ばかりなのは変だから美少女もないと……」と考えたためだという。
吾妻は「やおいを駆逐しないと……」と過激な表現をすることがあるが、要は単一化して他の肩身が狭くなるバランスの悪さが嫌なのである。こうした背景があっての、川本の依頼だった。
『シベール』の中心メンバーは、吾妻とそのアシスタント沖由佳雄、そして蛭児神建だった。
蛭児神は78年冬のコミケット10で、すでに少部数の同人誌『愛栗鼠』を頒布していた。発行母体はアリスマニア集団、発行所はキャロルハウス出版部となっており、最初のロリコン同人誌といわれている。ただし漫画ではなく小説誌で、プラトニックな少女愛を描いていた。
沖も蛭児神も、漫画ファンが集まる東京・江古田の喫茶店「まんが画廊」の常連で、吾妻の同人誌企画を知ると賛同し、相互協力が決まった。
ほかの執筆者も、この喫茶店に置かれていた「らくがき帳」の常連記入者を中心に声がかけられた。当時はまだそうした喫茶店文化があった。
こうした誰もが描き込めるノートや、駅の伝言板を使った呼びかけなどの風習は、のちのネット上での匿名掲示板文化とも精神史的にはつながっている。
『シベール』という誌名は、映画『シベールの日曜日』から吾妻が取った。79年春のコミケット11から81年春のコミケット17まで7冊が発行され、行列ができて売り切れる人気同人誌となった。まだデビュー前の山本直樹も列に並んだことがあるという。
執筆者は吾妻ひでお、沖由佳雄、蛭児神建、孤ノ間和歩、計奈恵、豊島ゆーさく、三鷹公一、早坂未紀、森野うさぎ、川猫めぐみ、海猫かもめらで、いずれも別名義で描いていた。
『シベール』人気の影響か、何冊が出すうちに、コミケットには類似のロリコン誌が溢れ、今度はロリコン誌が他を圧倒するようになった。それが潮時と、『シベール』は終刊した。
文/長山靖生 写真/Shutterstock