高市早苗の「公正中立ではない放送局には電波停止を命じる可能性がある」発言
山崎 2012年に第二次安倍政権が発足して以降、自民党政権によるメディアへの圧力が段階的にエスカレートし、当時の高市早苗総務大臣が「公正中立ではない放送局には電波停止を命じる可能性がある」とまで言及しましたが、一昔前であれば、あの発言はテレビ局から激しい批判の逆襲を食らって逆に大臣辞任にまで追い詰められてもおかしくなかったと思います。
内田 あれは少し昔なら内閣総辞職に追い込まれるような暴言だったと僕も思います。それがペナルティなしでまかり通ってしまったのですから、いかにメディアの足腰が弱くなったかということの証明でしょう。
安倍政権のメディア対策は、要するに「しつこい」ということと「非常識」ということに尽きると思います。ふつうならそこまでやらないというようなことをやった。
いちいち番組内容に介入し、個別の番組の出演者にまでクレームをつけた。ふつうはテレビ番組を全部チェックして、その一つひとつについて政府に批判的かどうかなんか査定するようなくだらないことに官邸の貴重な人的リソースは割きません。外交でも内政でもそんなことより重要な政治的イシューはいくらでもありますから。
でも、安倍政権はその優先順位をひっくり返して、「政府批判をするメディアを叩く」ということを最優先の政治課題にした。この「しつこさ」と「非常識」ぶりは僕が知る限り、これまでの自民党政府のメディア対策には見られなかったものです。
でも、これはある意味で卓越した着眼点だったと思います。「叩いて」みたら、メディアは思いのほか弱腰だということがわかったからです。一度きりのクレームには抵抗するけれども、三度四度とクレームを続けると腰が砕ける。
ていねいな口調での抗議には抵抗できても、「ふざけたことをすると停波するぞ」というような非常識な恫喝には屈する。問題はここでも「程度の差」だったんです。
これまで政府がメディアにいくぶんか配慮していたのは、メディアの抵抗力を過大評価していたからだということがわかった。それが第二次安倍政権の最大の「収穫」だったと思います。「メディアは腰抜けだ」ということを政府が知り、国民も知った。
それによってメディアに対する信頼性を土台から掘り崩すことに成功した。こうやって僕たちが「日本のメディアは腰抜けだ」というようなことをあたかも周知の事実のごとく言い切れるのも、それが安倍政権が開示した事実だからなんです。
もちろん、それまで「第四の権力」というような過大評価に安住してきて、タフな批評的知性を鍛えてこなかったメディア自身の責任も大きいとは思います。それでも、日本における「メディアの凋落」を加速させたのが安倍政権であることは間違いないです。
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