捨て身じゃなければ、
ここまで辿り着きませんよ
第48回すばる文学賞を受賞した『泡の子』は、新宿歌舞伎町の通称・トー横で生きる若者たちを独特の言語感覚で描き出している。著者の樋口六華さんは、高校三年生だ。選考会で本作を推し、「聞きたいことがたくさんある」と言う田中慎弥さんとの対談が実現した。
構成=吉田大助/撮影=山口真由子
田中 まずは、おめでとうございます。
樋口 ありがとうございます。
田中 私が「すばる」の選考をするのは今回が初めてだったんですが、唯一受賞に推せるとしたら『泡の子』だなと思って臨んだら、票は結構割れました。反対の人もいて、作品についてかなりいろいろと突っ込んだ議論があったんです。
樋口 僕は正直、一次選考も通るとは思っていませんでした。原稿を出した後、しばらくして読み返してみたら「こいつ、三行前と言ったこと全然矛盾してるじゃん」というところが何個もあって、これは落とされただろうな、と。受賞したという連絡をもらった時は、喜びよりも驚きが勝りました。
田中 確かに、小説というのは一続きのものだけれども、ぶつぶつと切れている感じもする。ただ、これは奥泉(光)さんも選評で触れていらっしゃったことだけれども、あなたの作品には詩の要素がある、と。ところどころ、作品から遊離したような強烈な文章が入ってくるんです。例えば、〈揺れているのは、自壊したいという衝動。遺伝子の隙間に何故か入ってる矛盾。腐った未来に対する反発。嘲笑う釈迦が垂らした蜘蛛の糸〉という文章。「嘲笑う釈迦が垂らした蜘蛛の糸」なんて五七五で、俳句みたいになっている。
樋口 意識していなかったです。
田中 いいなと思う文章がたくさんありました。この小説はトー横(※東京・歌舞伎町にある「新宿東宝ビルの横」。その周辺の広場や路地裏でたむろする若者・未成年者を「トー横キッズ」と称する)が舞台ですが、〈外はまだ昼だった。遠くにある月が白く霞んでる。明度の高い霧みたいな景色の前に、十二色セットの絵の具を適当に混ぜたみたいな、黒くくすんだ印象のある渥彩の電光板がビルの陰で波打ってる。白い月は天に穿たれた穴のように、その景色全てがそこに吸い込まれて消えてしまうような不安定さを感じさせる。地軸が突然傾いて、その穴に真っ逆さまに全部落ちていくみたいな〉。同じくトー横の描写で、〈水たまりに一円玉が沈んでる〉というサラッとした描写もいい。瞬間的な、ワンショットですよね。小説を書いている時、情景が浮かんでいますか?
樋口 はい。完全な妄想で書くこともありますが、写真などを見て、連想して浮かんできたものを一息でばーっと書いていく感じです。
田中 見えているものを、忠実に描写するわけではなくて。
樋口 そのまま書くというよりは、できる限り表現を工夫して書いています。ワンセンテンスで終わる時もあるし、一気に十行ぐらいその場面だけを切り取って書くこともありました。そうやって書いていった断片的な文章を、スマホのメモにどんどん残していたんです。それを見返していたら「この文章とこの文章が繫がりそうだな」というでかい塊が四、五個ぐらいできてきて、それを繫げていくうちに、小説っぽいものになっていきました。
田中 じゃあ、最初から大きなテーマがあって、それに沿ってということではなかったんだ。
樋口 テーマは、これを最後まで仕上げてすばる文学賞に出そうと思った時に初めて意識しました。テレビのニュースとかYouTubeやSNSなどを見ていると、トー横についてディスっている方々が多くて。その人たちは、表面的な部分しか見てないよなという違和感が強くなってきたんです。その違和感をテーマに据えることにして、繫げていったメモの塊の一部を膨らませたり、削っていったりしました。
見られる側から
見る側に回る構造
田中 小説は、〈──王が捕まった〉という文章から始まりますね。王と自称して、トー横で炊き出しなどを行うボランティア団体の会長をしていた男が、未成年淫行で捕まった、と。かなり大胆な書き出しだなと思いました。
樋口 〈王が捕まった〉というフレーズを思いついたことが、ひと塊の作品にすることができた大きな理由かもしれないです。
田中 まさにそのトー横で生きているヒヒルという十七歳の女の子が、七瀬という女の子と一緒にそのニュースをスマホで見ている。そのニュースの三日後に、拘置所で王が死ぬんですよね。それによってトー横の雰囲気が微妙に変わっていくように、ヒヒルには感じられる。
樋口 トー横について調べていると「トー横のハウル」といわれていた男性の話題がよく出てくるし、彼が拘置所で亡くなったということは知っていました。今考えると、その男性のことを小説で利用してしまったのかもしれないなと思うんです。でも、自分はここから始めるというか、こう書くことしかできなかった。他の箇所でも「これを書いていいのか?」と感じるところはたくさんあったんですが、批判されてもしょうがないなって捨て身で、捨て身だからこそ書けたと思っています。
田中 捨て身じゃなければ、ここまで辿り着きませんよ。小説の技術としてどうとか良識がどうとかではなくて、自分が書きたい、書かなければと思うものを全て出し切らなければ。トー横には行ったことがあったんですか?
樋口 近くまでは行ったことがあるんですが、実際にはないです。Ⅹでトー横界隈の人を探して、その人が上げているポストなどから想像を膨らませていきました。例えば、トー横にいる未成年の方々は僕と同じで、法律上は親だとか社会に保護される存在なので、そういう状況に対する窮屈さは絶対あるだろうなというシンパシーを感じたんです。あと、誰かに同情されたいというか、同情してもらえる場所を希求しているヒヒルの気持ちは、僕自身の気持ちと重なっていたかなとも思います。
田中 時間が、過去と現在を行ったり来たりしていますよね。
樋口 繫げていったメモを「過去塊」と「現在塊」というふうに分類していって、後でくっつけていったんです。
田中 それ、めんどくさくない?(笑)
私は最初から順番に書いていくやり方しかできないので、パーツとパーツを組み合わせるという発想がないんですよ。でも、この作品ではその書き方が非常に効果を上げている。どういうことかというと、ヒヒルはオーバードーズすると、過去にトリップするんですよね。そうそう、オーバードーズの描写も印象的でした。
樋口 トー横はオーバードーズがキーワードの一つになっていると思うので、薬の副作用としての幻覚を、どう小説に組み合わせられるかは考えました。僕はしんどくなった時に床に突っ伏して、そのまま自分が床の中に沈んでいくというか、土の中にまで埋まりたいなって感覚になることがあるんです。オーバードーズの描写は、そういう想像をもとにしています。
田中 ヒヒルはオーバードーズすると、「彼女」と呼ぶ怪物の幻覚を見ることがあるんですよね。「彼女」はヒヒルを凝視して溶ける、また凝視してまた溶けるを繰り返す、不気味な存在です。でも、お話のちょうど真ん中あたりで、今度はヒヒルが「彼女」を見つめる場面が出てくる。〈直感的に、『彼女』は扉で、薬は鍵なのだと思った。私はそのままその向こう側に行くために薬を飲んでる〉。その関係性に気がつくというか、本人はそういうふうに解釈したわけですよね。今までは「彼女」から一方的に見られていたのが、「彼女」を見る側に回ったことで、その正体に辿り着く。このあたりの構造は意識的でしたか?
樋口 見られる側から見る側に回るということは、意図していなかったです。ただ、未知のものが自分のことを見ていて、その正体を後から知っていくという作りにはしようと思っていました。
田中 怪物の正体が何なのかを、書きながら探していく感じだった?
樋口 そうでした。主人公の心の中にある罪の意識というか、何らかの気持ちが薬の幻覚として表出している。それは何なのかについてはいろいろな答えを考えて、最終的に主人公が出した答えというか、彼女なりの解釈を最後に書けたらなと思っていました。
田中 最後が切ないんですよ。世の中の理不尽さと直面する出来事があり、「お願いだから、お願いだから」という感じで、主人公の心情が連打連打で叫ぶようにして書かれていく。ここは自分でも速く書けてしまった、みたいな感覚ってあったんじゃないですか。
樋口 はい。そこは一息で書いた記憶があります。
田中 うまいヘタじゃないんですよ。文章からものすごく伝わってくるものがあるんです。