『万国乳輪博覧会』というオリジナル曲を作りました
外資系企業勤務から国会議員、数々のテレビ番組にも出演と、一見すると華々しい経歴が並んでいるが、音喜多氏は完全に“陰キャ”側の人間だと自負。
近年、視聴者数が急増している動画メディア「ReHacQ(リハック)」でもすっかり“陰キャ”として多くの視聴者に親しまれている。
「僕は石丸伸二さんや玉木雄一郎さんのような“陽キャ”にはなれませんから、これからも“陰キャ”を貫いていきます。玉木さんと対談したことがありますが、『なんでそんな“陽キャ”なんですか? 子どものころから何でもできたんですか?』と聞いたら、『なんでもできたというか、なんでもやっていましたね』と返ってきました(笑)。たぶんスポーツも勉強もできて、足も速かったんだと思います」
そもそも何をもってして自分は“陰キャ”だと思うのだろう。“ビジネス陰キャ”では?
「最初の要因は小学生時代に背が低くて足が遅かったことにあると考えます。運動ができない、背が低い、足が遅い……これではまったくモテません。そのまま中学・高校と男子校へ進み、やはりまったくモテず、男同士でジメジメした青春を過ごしたんです」
とはいえ、高校時代はバンドを組んでいたという。バンドと言えば陽キャの代名詞のようにきこえるが……
「ラルクやGLAYが流行っていた時期だったんですが、うっかり聖飢魔IIのコピーバンドを組んでしまって……。加えて僕たちは、サブカルチャーの第一線を走っていた筋肉少女帯の大槻ケンヂさんに憧れていたんです。
童貞の主人公が様々な妄想をしながら詞を書いたりして活躍する大槻さんの小説(『グミ・チョコレート・パイン』)を持ち寄って読み、その世界観に影響されて『万国乳輪博覧会』という奇天烈なオリジナル曲を作って歌っていたりしました。タイトルから下品なんですけど(苦笑)。
空耳アワーのように、聴くだけだとよくわからないけれど、歌詞を見ると実はがっつり下ネタになっている歌にしようと、ファミレスで熱く夜な夜なヘンテコな作詞について話し合う……。これを“陰キャ”と呼ばずなんというのでしょう」
常に「モテたい」と思いがあったというが、青春時代に恋人は……?
「いないに決まっているじゃないですか。それでも憧れはあって、勇気を出して仲間3人で当時ナンパスポットだった渋谷のHMV前に行ったんです。ジャンケンで負けた人が女の子に声を掛けるというルールで、まんまと負けた私が女性に声をかけたら、後ろからコワモテの男性が現れて……。一緒にいたはずの仲間たちは脱兎のごとく逃げていたので、ひとりで思い切り説教をされるという怖い思いをしました。
巣鴨のマクドナルドでバイトをしていたときは、同僚のギャルっぽい女の子に少しアプローチしたら、先輩のヤンキーに駐車場で顔の形が変わるまでボコボコにされましたし(苦笑)。陰キャだったので当然、そういう場面で抵抗はできません」
その後、大学デビューになんとか成功し、20歳で初めて彼女ができたという音喜多氏。「大学デビューしたものの、それでも時間がかかりましたね。拙著『ギャル男でもわかる政治の話』でもネタにしていますが、童貞をこじらせて、性交渉よりも先に選挙で投票をした人間です」と笑う。
政治家になった理由のひとつに「モテたい」があったという噂も……。
「そうでした。もちろん崇高な目的や理由は大事なんですけど、根源的な欲求やシンプルな動機で政治家になる人がいても良いと思うんですよね。
とはいえ、政治家はぜんぜんモテません。もっと偉くなったら違うのかもしれませんが…いや、そもそも僕が玉木さんみたいな陽キャじゃないせいかもしれません(苦笑)。
でも、女性や現役世代が活躍できる社会を創ったという偉大な政治家になれば、歴史の教科書にも載って、先々の人にまで尊敬されてモテるはず。“陰キャからの逆転”を目指して頑張りたいですよね」
とはいえ、現在は結婚して3児の父。今は政治的目標である「社会保険料の引き下げ」を実現すべく、奔走する日々を送っている。
「現役世代の大きな負担となっている社会保険料の引き下げを実現し、持続可能な社会を作っていきたいです」
“陰キャ”炎上議員だが、政治への情熱と「世の中を良くしたい」という思いは誰にも負けていない。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 金子弥生
撮影/村上庄吾