文化価値に「コスト」を問うナンセンス 

反対した手前もあり、私が素材すべてを見ることになりました。テープを一本一本見て、将来使えそうな映像をダビングし保存していく。自前のノートパソコンには文字データとして記録し、検索できるようにする。

こうして阪神・淡路大震災のライブラリー作業がスタートしたのです。数年後にはこのデータはテレビ局本体のライブラリーデータに追加されることになり、誰でも検索できるようになりました。結果として、1万5000本超のテープを私一人で見ることになったのでした。

その保存した映像は、後の企画やドキュメンタリーに大いに役立ち、ディレクターたちからは感謝されました(後年、テレビ局から感謝状をいただきました。膨大なテープを見たという感謝状は異例だと思います・苦笑)。

しかし、映像の価値がわからない人が責任者になると、「何か実績を」と考えるからなのか、経費節減でテープを処分するという安直な判断をすることがあります。阪神・淡路大震災だけではなく、とても貴重な財産を一人の責任者の判断で消去されたケースを幾度となく見てきました。

実際、私自身も「あの映像は保存をお願いしていたから、まだあるはずだ」と思い、それを前提に、あるドキュメンタリーを企画したのですが、その素材は知らない間に無残に消去されていて、企画自体が白紙になったという経験があります。コストと文化価値の闘い。もどかしい思いを長年抱いていました。

震災から30年が経過しました。あのときの子どもたちももう壮年期でしょうか。映像編集者は短絡的にならず、未来に向けての仕事をこれからも繋げていってほしいと思います。

文/宮村浩高 写真/産経新聞社 shutterstock

〈阪神・淡路大震災から30年〉震災の映像記録を「消せ」というテレビ局員に大反対、1万5000本超のテープを見てライブラリーを作った映像編集者 _3