目立ち始めた教育熱心な家庭と教育虐待
地方出身の人々が故郷に見切りをつけ、大量に都市部に流れ込むようになったのもこの時期です。そういった層が東北地方から大量に流れ込んできたのもこの時期です。主に農村地域の中学校の新卒者が集団で都市部に就職する「集団就職」と呼ばれる形式の就職が盛んに見られるようになりました。
多くの若者が東北本線の臨時夜行列車で上京し、上野駅に彼らが殺到した光景は当時の風物詩となっています。彼らが第一世代となり、我が子には銀行、病院、広告代理店、商社などに勤務するエリートとして飛躍してほしいと考え、そのための切符としての「学歴」に執着するようになります。
この頃の親世代は第二次世界大戦を経験し、基本的に学歴も持たない中、苦労して日本の再建を担ってきた世代です。彼らは社会に出て、学歴が秘める力が想像以上に大きいことを知り、学歴コンプレックスを抱く者も少なくなかったことでしょう。
そのため、我が子には自分たちのような苦労をしてほしくない、自分の見られなかった世界を見てほしいといった理由から、教育熱心になっていった家庭が多く見られました。
ただ、教育熱やエリート主義がエスカレートし、それが凄惨な事件に繋がることもこの時期からよく見られるようになりました。
1980年(昭和55年)に発生した「金属バット殺人事件」は加熱する受験戦争を背景にして起こった事件の象徴となっています。
2浪中の予備校生が受験のストレスから両親を撲殺するというもので、加害者の父親が東大出身のエリートであったことも注目を集めました。
エリート志向の蔓延る高学歴一家で、結果を出せず凶行に走ってしまうという、この時代の空気を象徴するような事件でした。
事件の凄惨さもさることながら、その背景にある受験競争への問題提起の声も多く集まり、社会現象になりました。この事件を受けて、有名ロックバンドが便乗した楽曲を作ったり、ノンフィクションのドキュメンタリーやドラマが作られたりすることになりました。