夫の暴力に耐えきれず泣く泣く子を手放した妻

父親は30代後半から40代前半、子どもが小学校1年生の男児、父親の母は70代という家庭だった。

「その父親は女好きで、元々は、父母と子の3人家族でしたが、妻が夫の殴る・蹴るの暴力に耐えきれず、離婚しました。

夫は離婚後、子どもを手放さず、お母さんは泣く泣く子どもを手放しましたが、父親は子を育てられず、児童養護施設に預けていたんです。

しかし、子ども系の手当が入らないことを嫌がった父が、連れ戻しました」(澤田さん、以下同)

介護福祉士で訪問介護事業所のサービス管理責任者の澤田さん(49歳)
介護福祉士で訪問介護事業所のサービス管理責任者の澤田さん(49歳)
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最初は父親も仕事をしていたので、まだよかった。そのうちに、双極性障害を発症し、失業する。祖母も高齢で、足腰が悪く、仕事はできず、一家は生活に困窮していった。

父親は精神障害者手帳を取り、障害福祉サービスを利用した。息子の体には、父からの暴力の痕跡があった。

その際にヘルパーとして入った事業所が、澤田さんの勤める訪問介護事業所だった。

「通常、父親の障害福祉サービスは、その父親の身辺の世話だけです。ですが、昨今のノーマライゼーションの考えから、区役所から子どもの見守りも含むという特例が出て、健常児である子どもの登校の準備・着替えや朝食の手伝い・子どもを学校に送迎するというサービスも含んでいました」

それなので、澤田さんたちヘルパーは、主に息子の日々のケアも担っていた。

子どもへのサービスに問題はなく、ヘルパーたちは「学校への行き渋りがないのが逆に気持ち悪い」と感じていたという。

澤田さんは「父親からの虐待がある家よりも、学校に行く方が精神的に楽だったからではないか」と振り返る。