興行としてのK-1のネックは……

――鍛えることやパフォーマンスの前に、必要と思うことありましたか?

K-1で考えると、テレビの生中継があって初めて成立する世界だったので、選手には「視聴率を意識してほしい」と伝えていたこともありますよ。

激しい戦いがなければ、視聴率も伸びず、スポンサーも離れてしまいますからね。

特に外国人選手には「ビジネスクラスの飛行機、豪華なホテル、ファンの声援は視聴率のおかげだ」と危機感を煽りましたが、なかなか選手たちには伝わらなかったこともありました。

「K-1のブームがなければ、僕はここにいないです」と語る角田氏
「K-1のブームがなければ、僕はここにいないです」と語る角田氏

――それでも、外国人選手たちがK-1を盛り上げたのは間違いありません。特にピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、マイク・ベルナルド、アンディ・フグといった「K-1四天王」の活躍は印象的です。

アンディは「危機感を持て」と言わなくても、すべてを理解してくれていました。

彼が生きていれば、K-1はまた違った形で続いていたと、今でも思うことがあります。しかし、彼は天に昇りました。

誰も想像していなかった「鉄人」の死。このときは運命を呪いました。

――それでも、90年代後半から2000年代前半にかけて、K-1は一大旋風を巻き起こします。2003〜2010年までは大晦日の風物詩にもなりました。

ブームというより、格闘技という文化が成立しましたね。

その後、運営会社のケイ・ワンをめぐる脱税事件など、K-1には暗い時期もありましたが、そんな流れを変えたのはボブ・サップでしたし。

彼の活躍は一見追い風となりましたが、その一方でK-1の持つ格闘技のクオリティは下がりましたよね。

選手の成長よりも、ファンの目が肥えるスピードが早い。

TVの視聴率狙いのボブ・サップを巻き込んだ仕掛けは、純粋なファンの反感を買いましたね。

90年代年末の風物詩だったK-1「あいつが生きていたら続いていた」…すべての夢を実現した角田信朗の人生で唯一の後悔_3