#2 「ホリエモンがフジテレビの経営者になっていたら、テレビ局は変わっていた」RIZINをつくった男が語る「地上波の未来」と「自身の引き際」
就活で“最終落ち”した東海テレビに乗り込む
――この本の中で、榊原さんの人となりをもっとも表しているのは、大学4年の就職活動中、東海テレビの最終面接で落ちたときのエピソードだと感じました。結果に納得できず、東海テレビにアポなしで乗り込んだそうですね。
榊原(以下同) 大学時代は自分が何者なのかもわかってなくて、ただ、チャラチャラしてたので、何となくテレビ局でイベントとかやりたいなって思っていたんです。当時、テレビ局の面接ってものすごく時間がかかったんですよね。8月に始まって、最終は10月とか11月ぐらい。
それで第一志望の東海テレビが引っかかっていたから、他に内定をもらったところもあったけど全部、断っていて。最終面接の手応えもあったんです。だから、落ちたと聞いてすぐに東海テレビに乗り込んで「入社試験を受けた榊原信行という者ですが、人事部の担当者に会わせてください」と直談判した。
そうしたら、その場で担当者に取り次いでくれたんですよ。会議室みたいなところに案内されて、課長クラスの人が対応してくれて。その人に思いの丈をぶつけたら、盛り上がってね。「君は営業向きだな」とか言われて。
それで東海テレビ事業という会社を紹介してくれたんです。東海テレビの100%子会社で、イベントの企画などを手掛けている会社でした。そこの面接を受けさせてもらって、最終的に採用してもらいました。
――よく門前払いされませんでしたよね。
あきらめの悪い男なんですよ。人からもよく言われるし、自分でも思いますけど。ここで落とされて、俺はどうしたらいいんだ? というのもあったしね。
――この本は、人間は何のために生きるかの一つの答えが示されている本だと思いました。榊原さんが導き出した答えは、生きている以上、常にヒリヒリしていたいというか、ワクワクしていたいということなわけですよね。
私もサラリーマンになって1、2年は、諸先輩方の言うことを聞きながら、サラリーマン道をまい進しました。でもね、多くの先輩たちは日々、いかにさぼって、いかに楽に生きるかしか考えていなかった。漫画喫茶に連れていかれて、お茶を飲んで、夕方になると「そろそろ帰るか」とか。出世欲もないし、責任もとりたくない。そういう先輩たちの生き方を見ていて「クソだな」と思えてきて。
そこから、もがき出したんです。やりたいことと仕事をニアリーイコールにするために悪戦苦闘が始まった。いろんな興行を仕掛けては成功したり、失敗したりもした。そんな中でK-1と出会い、入社8年目の1994年ごろから格闘技の興行に関わるようになっていって。