いい意味で「距離」と「壁」を持っていたひと

仕事柄、数多くの女性芸能人やモデルの撮影や取材をしてきたが、彼女ほど巷の女性たちの熱い支持と憧れを受けながらも、アイドル、すなわち偶像としての、いわゆる芸能人としてのアイドル性を貫いた存在は記憶にない。

いい意味で、中山美穂さんは「距離」と「壁」を保っている芸能人だった。

芸能人や有名人といえば高嶺の花、遠巻きに見ているような時代から、このころにはそれでもだいぶ気さくな人が増えていたのも事実だ。
ロケや取材のあとにスタッフとごはんを食べたり、買い物に行ったり……ということもあった。

けれど中山美穂さんは「中山美穂」を崩さなかった。

記者は、雑誌の表紙とインタビューで2回ほど彼女の現場を経験したことがある。
けれど、スタジオで数時間をともに過ごすあいだに、彼女の「素」に触れたことは一度もなかった。

最初の現場で、たった一言交わした会話は「お茶はなにを召し上がりますか?」に「コーヒー、お願いします」だけ。そのまま彼女はメイクルームに入っていったので、コーヒーはマネジャーさんから渡してもらった。
取材もインタビュアーとふたりだけにしてほしい、と、個室にこもって行われた。

断言するが、こうしたことが決して感じが悪いというのではない。
「中山美穂」が、表紙のために最上の自分をつくり、ロングインタビューに真摯に答えるために必要な条件だったのだと思う。

とはいえ、私は不安だった。
ここまで本人とコミュニケーションが浅いまま、表紙とグラビアページのためにいい写真が撮れるだろうか、と。

やがて撮影の準備が整い、ライティングの前に中山美穂さんが案内され、カメラマンからスタートの合図が出た。

そのとき、そこにまぎれもなく、アイドル・中山美穂がいた。

表紙を計算した画角のなかで、しっかりとカメラに目線を合わせ、微笑む姿にスタジオの雰囲気は一気にのまれた。
「笑顔っていったいいくつあるんだろう」と思わせるほど、同じ表情はひとつもなかった。

グラビア用に全身の撮影になったときはもはや独壇場だった。まるで近くに友だちか恋人がいるかのような喜怒哀楽織り交ぜた動きと表情たちは、まさに女優・中山美穂だ。

「中山さん、元気なのもください!」
「不思議な表情、もっとほしいです!」

気づくとカメラマンの後ろから欲張って声を出す自分がいて、中山さんはそのリクエストを大きく上回る結果を難なく披露し、撮影が終わるとともに、すーーっと黙って控え室に消えていった。

数ある女性誌のなかでも新春特別号や記念特大号のカバーを飾った。
LEE1998年2月号(集英社)
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LEE1998年2月号(集英社)
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こんな人はいない。
アイドルや芸能人を演じているわけでも、やらされているわけでもない、天性のスター。

1985年のデビューから2024年12月6日まで、中山美穂さんはずっと「中山美穂」であり続けた。
そして、1990年代のアイドルや芸能人が「らしかった」ころの「中山美穂」の輝きは彼女だけのものだ。

集英社オンライン編集部