振付師・三浦亨が明かすアイドル黄金期

きたる2025年が“昭和100年”にあたることもあってか、昭和のカルチャーや芸能界への注目が高まっている。

また、今月にはタレントの香取慎吾(47)のニューアルバム「Circus Funk」(11月27日発売)に、昭和後期を代表する歌手である中森明菜(59)とコラボレーションした「TATTOO(feat. 中森明菜)」の収録が決定。

2人の近影が公開されたことも話題となった。

誰もが知っているアイドルたちが笑顔を振りまき、歌い踊っていたあの時代。

その時代に、一流の“裏方”として活躍していたのが、振付師の三浦亨さん(78)だ。

1970年からダンサーとしてキャリアをスタート。

その後、振付師として、キャンディーズ「年下の男の子」(1975年)、榊原郁恵「ROBOT」(1980年)、松田聖子「裸足の季節」(1980年)、アン・ルイス「六本木心中」(1984年)、荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」(1985年)…といった、誰もが知るヒット曲を多数手掛けてきた。

また、シティ・ポップの代表曲ともいえる松原みき「真夜中のドア~STAY WITH ME」 (1979年)の振付も、三浦さんによるものだ。

三浦さんはこう語る。

「(総数は)数えてないからぜんぜん覚えていない。ヒットして、“ああ、あの曲もやったな”って、思い出す感じで。

(榊原)郁恵なんか“先生が振り付けてくださった『〇〇〇…』”って話すけど、俺が振り付けしてない楽曲について平気で語ってるからね(笑)。

“おいおい、それは違うよ”って何度否定しても認めないんだよ(笑)」(三浦さん、以下同)

ぶっきらぼうなようでいて、温かみのあふれるその人柄から、実際に振り付けた有名人たち以外からも“三浦先生”と慕われている。

「たしかに昔より歌番組の数は減ったけど、まだまだ俺も現役だからね。仕事も遊びも(笑)。

昔振り付けしたタレントたちから“先生にこれをお願いしたい”って仕事の依頼の連絡も来るし、ディスコにも顔を出しているし、飲み会にもしょっちゅう誘われてるよ」

そんな昭和の生き字引である三浦さんに、アイドルたちの素顔から振付の裏話まで、昭和という時代を振り返ってもらった。

「『TATTOO』は俺ではなくて、俺の師匠の西条先生の振り付け。俺が明菜の楽曲で手掛けたのは『十戒 (1984)』。

“発破かけたげる”というところは、喝を入れるという意味を込めて、往復ビンタをイメージして考えた。

でも、最終的には彼女が自分の表現を活かして完成させたんだから、あれは結局、彼女自身の振り付けなんですよ」

『週刊明星』昭和59年12月6日号より 撮影/篠原伸佳
『週刊明星』昭和59年12月6日号より 撮影/篠原伸佳
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宮城県出身で、地元の宮城県石巻高等学校を卒業後、日本大学芸術学部・演劇学科に入学した三浦さん。

「もともと踊りは好きで、上京してからディスコにハマって。アン・ルイスなんか、ディスコで知り合った遊び仲間だからね。TRFのSAMやEXILEのHIROは、ディスコの後輩だから」

大学卒業後はダンサーとして活動し、郷ひろみやキャンディーズの振付も手掛けたダンス講師で振付師の故・西条満さんのアシスタントに。

その後、当時のトップアイドルであった天地真理の「恋する夏の日」(1973年)で振付師としてデビューする。

「真理ちゃんの曲を担当したのは、決して抜擢されたわけではなくて。西条先生が当時、真理ちゃんが所属していた渡辺プロダクションのダンス講師をしていて、俺がアシスタントだったんですよ。

その縁で、真理ちゃんとは顔見知りだったから。真理ちゃんは踊りが苦手でね、事務所側も、知っている人間のほうが緊張しなくて覚えられるだろうから、っていう理由で、初めて任せられたんです」

大学では演劇学科に在籍していたものの、実は演技は苦手だったという三浦さん。

「そんな人間だから、表現が下手な人の気持ちがわかるし、“こうしないと絶対ダメ”なんて言わない。

歌の振付の場合、本人なりの表現になるのが一番ですから。伝わりやすい表現をアドバイスして、“最後は自分で想像力を働かせなさい”っていうのが、俺のやり方」