334名の関係者が参列
2024年1月4日に83歳で天国に旅立った写真家の篠山紀信さん。
その84回目の誕生日にあたる2024年12月3日(火)に、株式会社篠山紀信主催、株式会社講談社、株式会社集英社、株式会社小学館、株式会社世界文化ホールディングス、株式会社文藝春秋、株式会社マガジンハウスの出版社6社社長を発起人とした「篠山紀信先生を偲ぶ会」が、オークラ東京 オークラ プレステージタワーにて執り行なわれた。
会場には出版界、芸能界の関係者をはじめ、松本白鸚夫妻、中村勘九郎・七之助兄弟、真琴つばささん、真矢ミキさん、西田ひかるさん、長塚圭史さんら、篠山さんと生前に親交のあった著名人など334名が駆けつけた。
じつは篠山さんはお寺生まれ。この日は実家の円照寺(新宿区)より来られた、従兄弟であるご住職と副住職が読経を読み上げて偲ぶ会がスタート。
家族ぐるみの付き合いがあったというフリーアナウンサーの有働由美子さんの進行で、まずは劇作家の野田秀樹さんが弔辞を読んだ。
気配を消して被写体に背中を見せながら近づく篠山さんに、「あの技、スゴイね」と野田さんが伝えると、「本気を出せば私、『FRIDAY』もやれちゃうのよ」とうれしそうに返されたというエピソードに、会場は大きな笑いに包まれた。
次に、バトンを受けたのは市川團十郎さん。ヤンチャ盛りの17歳のとき、篠山さんの独特なヘアスタイルがカツラではないかと思い、確かめるために髪の毛を引っ張ったところ激怒されたと話すと、会場はこの日一番の盛り上がりに。
さらにその2年後に團十郎さんは “再チャレンジ”して、再度、怒られているあたりはさすがの大物ぶりだ。
続いてコシノジュンコさんが、加賀まりこさんとともに最後に写真を撮ってもらったときのエピソードを、さらには水沢アキさんが1977年のアイドル時代に『GORO』の表紙にて、伝説の“乳首透け写真”の撮影裏話を披露し、故人を偲んだ。
また、篠山さんの生い立ちを追った写真や生前のインタビュー動画がスクリーンに映し出されると、在りし日の巨匠の姿に笑い声や、ときにすすり泣く声が会場に響いた。
NHKから提供された篠山さんの対談映像の相手はなんと自分自身。編集によって実現したトリッキーな対談にて、インタビュアー・篠山紀信が「巷ではシノラマというネーミングは評判が悪いですよ。(中略)若いカメラマンなんてパノラマって手法で写真を撮ると『篠山のマネじゃないか』なんて言われてね、ずいぶん迷惑してるって言いますよ」と水を向ければ、写真家・篠山紀信は「悪いと思ってますけどね……」とバツが悪そうに答えるなど、ユーモアたっぷりの内容で、こちらも笑いが起こった。
最後に、長男の篠山有紀さんが挨拶。その時代を代表する「ヒト」「コト」「モノ」を斬新なアイディアとともに撮り続けてきた篠山さんが、「写真は時代の写し鏡」とよく口にしていたことに触れ、「篠山紀信の写真が、これからも多くの方々にとって時代の写し鏡であってほしい」と願い、セレモニーを締めくくった。
そして有働さんのリクエストにより、白いバラに囲まれた篠山さんの遺影をバックに3人のご子息が登壇。参列者による“家族写真”の撮影会となり、偲ぶ会は終了した。
会場入り口手前には、若かりし日の篠山さんの大型パネルと愛用の8×10のカメラ、同氏撮影のジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻のキス写真が展示。
また、会場後方には篠山さんが手がけた数多くの写真集や雑誌が飾られており(これでもごく一部とのこと)、改めて、篠山さんが残した功績の大きさをうかがい知ることができた。
文字どおり写真界に革命をもたらし、「時代と寝た男」とも称された巨匠は、生前、自身が結んだ縁の中で、安らかな眠りについていた。
取材・文/集英社オンライン編集部 写真/「篠山紀信先生を偲ぶ会」実行委員会