「無礼講」は無礼講じゃない? 気を付けたいマナー
「仕事の先輩との飲み会は社会人にとっては戦場のようなものです。戦場では、天候や地形、相手の軍勢や自軍の状況によって作戦は変わります。『めんどくせー』と思うかもしれませんが、そのときの環境で対応を変えるのは社会人の仕事そのものです」(栗下氏、以下同)
栗下氏は、やはり後輩芸人たちは、先輩の華丸・大吉の好みを把握するべきで、これによって出世ができるかできないのか決まるのも一理あるという。
今回、生ビールの順番などは人によって、どっちが正しいのか割れてしまうとネットの声でも指摘されているが、何が世間的に正しいかではなく、目の前にいる先輩が何をするのが正しいと思っているのかを、きちんと見極める必要があるのだろう。
「酒席での後輩のふるまいに対する考え方は人それぞれです。後輩の気遣いを嫌がる先輩もいますし、自分があれこれ気を利かす先輩もいます。これは場数を踏んで、わかるようになるしかありません。
歴史上の偉人でも、昭和を代表する政治家の田中角栄は大臣になってからでさえ、宴席でつねに自分から酒を注いで回ったことで有名です。主賓なのにお酌に動き回るので自席にいないのです。古くは鎌倉幕府を開いた源頼朝も自分は飲まずに相手に飲ませまくったことで知られています」
ただ、彼らはただ歓待したかったわけではないという。自らお酌して、気分よく飲ませることで、自分が知り得ない情報や相手の本音を引き出す狙いがあったのだ。
「さらにいうなら、会社の飲み会で『今日は無礼講だ』と言われたとしても、はしゃいではいけません。“無礼講”の言葉の起源は鎌倉時代末期の後醍醐天皇時代に求められます。寵臣たちが身分や地位に関係なく人を集め、男たちはざんばら髪で、僧侶は肌着姿となり、ドンチャン騒ぎに興じました。
ただ、実態は、宴会を隠れ蓑にした倒幕会議で、後醍醐天皇が家臣の忠誠をはかるために開いていたともいわれています。“無礼講”と言いながらハメを外せないのは日本のお家芸なのです」