神田正輝ロス続出…!?
「神田正輝さんの卒業で涙が止まらない」
「旅サラダは神田正輝さんのイメージ。慣れるまでロスかな…」
最後の出演となった9月28日の放送後、SNSにはその卒業を惜しむ声が続出。 “土曜の朝の顔”としていかに世間に親しまれていたかがわかる。
しかし、2021年12月には愛娘の神田沙也加が急逝、昨年11月からは入院と手術のため同番組を9週ほど休養することもあった。
2021年に石原プロが解散してからは、俳優業は“ほぼ引退状態”となっており、体調面を心配する声は日に日に大きくなっていった。
集英社オンラインは、休養から復帰直後のタイミングで神田と同じ日本大学高校出身で、プライベートにおいてもゴルフ場やテニスクラブなどで何度も一緒になったという俳優の黒沢年雄に体調面と往年の神田について話を聞いていた。
「僕なりにも生きる美学はあるが、正輝はそれ以上の美学があるはずで、それを思うと、なんとも言えない気持ちになってしまって、番組(「旅サラダ」)を見続けることができなかった。そのままチャンネルを変えました」
そう言うと、神田との思い出を振り返ってくれた。
「正輝は高校時代に先生から『あの東宝ニュータレントの黒沢も日大出なんだ』と聞いていたらしく、事件記者ドラマ『いろはの"い"』で共演したときから『先輩!先輩』って慕ってくれてね。
食事やゴルフに行ったり、同じテニスクラブでプレーを楽しむ仲だった。本当に嫌味もなければ媚びへつらうわけでもないし、愛嬌も品格もある男だったんですよ。
僕は若い頃むちゃくちゃしてたけど、彼からはそういう育ちの悪さも一切感じないし、正統派の二枚目スターでしょ? だからこそさ、わびしく感じて見てられなかった」
「わびしい」とはどういうことか。
「言葉じゃうまく言えないよね。僕はこれまで大腸がんなどいろんな病を患いましたが、あの当時は子どもが育ち盛りの時分にもかかわらず低迷し、来る仕事を断るわけにいかなかったからバラエティ番組でもなんでも出てすべてをさらけ出したんです。
そうすることで子どもも大きくできたし借金も返せた。
一方で正輝はさ、離婚した後も娘さんが亡くなった後も余計なことは何も言わずに押し通してきたんだから、もっと長く休んで『1年ぶりでーす』って、素敵に元気な姿を見せるのでよかったと思うんだよ。
だけど、番組側への思いもあったのか、それはわからないけど、とにかくあの姿にわびしさを感じたんだよ」