「人を傷つける笑い」に拒否反応を示す若者たち
先日、大学講師の知人に依頼されて、大学の講義で話をすることになった。講義に先立って、学生にお笑いに関するアンケート調査を行った。
「好きな芸人とその理由は?」「嫌いな芸人とその理由は?」という2つの項目について、メールで答えてもらうという簡単なアンケートだった。 数十人の学生から返ってきた回答内容を見て個人的に興味深いと思ったのは、嫌いな芸人についての回答に1つの傾向が見られたことだ。
それは、偉そうな態度を取ったり、痛みや苦しみを見せたりするようなもの、いわゆる「人を傷つける笑い」に嫌悪感を抱いている学生が想像以上に多かったことだ。
もちろん、アンケートで回答を求められたことで、何かを答えないといけないと思い、無難にそういう回答をしただけの人もいるかもしれない。ただ、それを考慮してもなお、こちらが想像している以上に、若い世代の間で人を傷つける笑いを嫌う風潮があることに驚いた。
彼らが嫌っているものの多くは、私が学生だった90年代頃には、テレビでも当たり前のように見られていたものだ。ダウンタウンやとんねるずはよくパワハラ的なノリのお笑いをやっていた。
『進め!電波少年』(日本テレビ系)が大ヒットしていて、そこでは芸人を生命の危険にさらすほどの過激なロケが行われていた。 当時からそういうものに対する批判の声はあったが、それ以上にそういった芸人や番組には圧倒的な人気があったし、支持している人も多かった。
特に、大学生のような若い世代の人間は、過激なものに憧れを抱きやすかった。だからこそ、時代が変わったとはいえ、学生の多くがいまやそういう笑いを敬遠している雰囲気があることに驚いたのだ。
ただ、よくよく考えてみれば、そもそも社会が変わっているし、世の中の空気が変わっているのだから、求められる笑いのあり方も変わっていくのは当然のことだ。
たとえば、かつての学校教育や部活動では、厳しい指導の一貫として体罰がまかり通っていた。しかし、今では体罰が発覚すれば、マスコミで報じられるほどの大問題になるだろう。暴力に対する抵抗感が昔と今の若者では大きく異なる。
また、パワハラ、セクハラ、モラハラといったハラスメントに対する意識も、一昔前と今ではずいぶん変わっている。 そういう時代の変化がある以上、今の若者が人を傷つけるような笑いを敬遠するのは当然のことなのかもしれない。
ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。専攻は哲学。テレビ番組制作会社勤務を経て、フリーライターに。在野のお笑い評論家として、テレビやお笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。著書に、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)他。