「もし病気にならなかったら」と考えると涙が出てしまう
ーーパリ五輪を経てメンタル的にも復調したことを考えると、フジテレビアナウンサーとして働き続けるという選択肢もあったのでは?
そうですね……ただ、私としては五輪がきっかけで退職したわけではないので。
アナウンサーの仕事は、もちろんテレビに出演している時間だけではなく、放送に向けた準備や、イベントの司会、ナレーションなど、仕事内容はかなりハードなんです。
すごく時間がかかる作業も多いですし、自宅に帰れない日もありました。もちろん、テレビ業界やアナウンサー職だけがそうであるわけではないのですが。
ーーそうした仕事内容やスケジュールが、自分には合わなかったと?
いえ、当時は全然問題なかったんです。仕事から受ける刺激も多かったですし、楽しくて、それが幸せだと感じていました。
でも病気になって、家族や友人と分かち合える幸福感のほうが、自分にとって大切なんだと気づいて。
だから以前のようなスケジュールでは働けないと思いましたし、あのまま会社にいたとしても、心身ともに健康かつ幸せでいられる自信はありませんでした。
ーー渡邊さんは2020年4月にフジテレビに入社されていますが、5年目で退職することについては、どのように感じていらっしゃいますか? もちろん、体調を崩されたことが、退職理由の一つではあるのですが。
個人的にも「半人前で辞めるなんて、嫌だな」と思ったときもあったんです。アナウンサーとして十分な経験を積めたわけではないですし、まだまだやりたいことだってたくさんある。
それこそ入院中、自分が大事にしていたものが、手のひらからこぼれていく感覚があって、すごく悲しかったんです。
当時決まっていた番組や、自分が定めていた仕事での目標……それらが実現できる寸前だったのに、病気によって手放さなければならなくなった。それは、当時の自分にとって、本当に本当に辛い経験でした。
正直なところ、PTSDにならなかったら、仕事を続けていたと思うんです。いまでも深夜に起きて会社に向かい、「めざましテレビ」で視聴者の皆様が起きるお手伝いをしていたかもしれない。そう考えると、やっぱり悔しくて。
「もし病気にならなかったら」と考えると涙が出てきてしまうのですが、一方で病気になったことで気づいたこと、得たものもたくさんありましたし、視野も広がったと思います。