信号の向こうまで人が殺到したパラパラステージ
──当時のギャルってみんなパラパラ踊ってましたけど、あれってどうしてあんなに流行ったんですか? さらに昔の「竹の子族」もそうですが、今思うとみんなで踊り狂ってて奇妙じゃないかと…。
なんでですかね(笑)。わからないけど、小室哲哉の影響とか?
昔からユーロビートってジャンルがあって、元々ディスコの黒服が集客目的で簡単な振り付けをつけて流行ったのが第1次ブームらしいです。それから第2次ブーム第3次ブームと流行るタイミングがあるんですよ。
ウチらの時代は第何次ブームだったか、そのタイミングで小室サウンドもめっちゃ流行って。安室ちゃんやELT、あゆとか、当時のJ-POP全体でユーロビート調な曲が多くて、ギャルとユーロビートが重なったんですかね。
──ご自身がギャルに目覚めたのも安室奈美恵さんがきっかけなんですよね。
安室ちゃんが大好きだったのと、姉がコギャルみたいな感じだったんでその影響で。ヤマンバみたいな感じではなかったんですけど、中学生くらいの頃からギャルでしたよ。
学校が私立で厳しかったので、夏休みだけ髪の毛染めたりっていう感じでしたけど、クラブも昼間のイベントとかは中学の頃から行ったりしてました。
──中学からクラブ通いって結構ギャルエリートですよ(笑)。スカウトされるのもわかります。
もともと興味はあったけど、アンジェリークなんて怖いからずっと断ってたんですよ! 当時はもう、アンジェの人が通るとみんな道あけるくらい、すっごくオーラがあったし怖かったです(笑)。
見かけるときはいつも5人くらいで、ヤマンバっぽい強めのギャルが並んで歩いてました。でも入ってからは、「誰よりも強めのギャルでいる」とかのルールさえ守ればみんなめっちゃ優しかったです。
──活動の中で一番の思い出はなんでしょうか?
やっぱり109の特設ステージでみんな歌ってパラパラ踊ったことですかねぇ……。中々経験できない貴重な思い出ですし、もう信号の向こうまで人がバーっと埋まってて。
ギャルだけじゃなくサラリーマンだったり普通の方々の方が多く足をとめて観てくれて、みんな当時のガラケーで撮ってくれてたり、それはすごく貴重で楽しかったというか心に残ってますね。19歳で副代表になる前のことでした。
──逆につらいとかやめようと思ったことはなかったですか?
ないかもしれないです。厳しく忙しくはあるものの、楽しかったです。私、学校も中退だし、習い事もすっごいいろいろやってたけど最後までやり切ったことがなくて。
アンジェが人生で初めて最後までやり切ったことなんです。色んなことがある中で楽しみながら引退まで活動できたことが自分ですごいなって思います。
でもそれは本当に仲間や家族のおかげです。