「egg」専属モデル時代からギャルの間で熱い支持を得ている、「きぃぃりぷ」こと鈴木綺麗。

モデル卒業後、現在は高卒資格を取得できる全日の通信制サポート校「渋谷女子インターナショナル」でメイク講師を務めている。インタビュー前編では、学生時代や「eggモデルになれたのは、宝くじに当たったくらいラッキー」とするeggモデル時代について、詳しく聞いた。

刑務所に行かないレベルでいろいろやっていました

ーー鈴木さんがギャルとしての道を歩み始めたきっかけは?

鈴木綺麗(以下、同) もともとギャルになりたくてなったわけではなくて。13歳くらいのときに、はじめてメイクしている人を見たのが、ギャルだったんですよ。だから「メイクってこういうことなのか!」と、たまたま出会ったのがギャルメイクだったんです。

2014年は雑誌『egg』がちょうど休刊していた年ですし、世の中的にもギャルは流行っていなくて、どちらかといえば煙たがられていた存在でした。だから、私も「ギャルになりたい!」と強く思っていたわけでないんですよ。どちらかというと、シンプルに“やんちゃ”でしたね(笑)。

ーーどのくらい“やんちゃ”していたのでしょうか?

刑務所に行かないレベルで、いろいろやっていましたね(笑)。私は茨城県出身なんですが、「全国で一番ヤンキーが多い県」というだけあって、まだそういう文化が根強く残っているんですよ。私も学生時代はまったく学校へ行かず、バイクに乗ったり、親とドライブに行ったりしていました。

母親の特攻服を着て出席したという中学の卒業式
母親の特攻服を着て出席したという中学の卒業式

ーーなぜ学校に行かなくなったのでしょう?

自分にも大いに責任がありますが、いま思い返せば家庭環境ですかね。夜職をやっていた母とは仲がよくなく、母も昔から“やんちゃ”だったので、強制的に学校へ行かせたりはしなかった。面倒をみてもらっていた祖母からも「しょうがないよね。逆にお前が勉強できたらびっくりだよ」と言われていた感じでした。

中学校に入ってから“やんちゃ”に拍車がかかってしまい、クラスで浮いた存在になってしまって。週5日通って2日休むという形で生活が縛られているのが私には本当に無理で、一種の鬱みたいな状態になっちゃったんです。

ーー学校へ行かずに、何をしていたのでしょう?

中学生のころはお金もほとんどなかったので、友だちとカラオケに行ったりとか。あとは彼氏も年上だったので、その人と遊んだりとか。

地元にはまだ暴走族やレディース文化が残っていて、「バブ(ホンダのCB250T HAWK)」に乗っている先輩もいましたが、私は集団行動が苦手で群れるのが好きではないので、暴走族の人たちと一緒に行動することはなかったですね。

ーー映画『下妻物語』の世界ですね。「群れるのが苦手」というメンタリティは、今でも変わりませんか?

『egg』モデルになったことで、少し変わったかなと思います。専属モデルとしてちゃんと周りを見て行動しないといけなくて、やっぱり集団行動が大切なんですよ。だから『egg』に “10代で学ぶべきこと”を教えてもらったような気がします。

逆に『egg』モデルになっていなかったら、いまでももっと世間と距離があったと思います。