「アメリカで出産してから帰国したい」「いいけど、自分のお金でやって」
妊娠発覚後、遠野さんはフルタイムで働きながら、MBAを取得するために大学院に入学。
「両立は正直つらかったです。無理をしたせいか、妊娠中、謎の腹痛で何度か検査入院をしました。でも何が原因かは分かりませんでした」
そんな頃、サンフランシスコでの生活に限界を感じた夫は、転職活動の末に、日本での就職を独断してしまう。
「私は子どもにアメリカ国籍を与えたいと思っていたので、『私だけ残って、アメリカで出産してから帰国したい』と提案しましたが、『いいけど、自分のお金でやって』と言われました。当時私は自分の収入から大学院の学費を払い、ギリギリの生活をしていたので、夫のサポートなしで続けるのは無理でした」
大手日系企業で働いていた遠野さんは「東京本社で働きたい」と上司に相談すると、「本社では契約社員としてゼロからスタートしなければいけない」と告げられ、愕然。
「大学ではマーケティングを専攻し、マーケティングアシスタントを経てやっとマネージャーになったのに、また契約社員からスタートになると聞いて驚きました。日本の転職の現状をよく知らなかった私は、『私の8年以上の経験や実績をみてくれない会社なんて最悪。もっといい会社に転職してやる!』と思い、退職。
大学院も辞め、夫と一緒に帰国することに決めました。正直、私もかなり疲れていて、『もうMBAなんてどうでもいいや。とりあえず、子育てが落ち着くまで休もう。日本で子育てを楽しんでから社会復帰しよう』と思っていました」
理解のない夫
帰国後は、夫の収入が倍近くに増えた。経済的には楽になった一方で、生まれた娘には重度のアレルギーがあることが判明した。特にナッツやそばは、少しでも口に入ると呼吸困難を起こすほど。
幼稚園時代に一度、誰かが持ってきたクッキーを口にして、救急搬送されたことがあり、それ以降、誕生日会などのイベントのたびに参加者にアレルギーのことを伝え、配慮してもらえるよう努めた。
「食べ物の成分表を正確に読めるようになるまで、万が一の際にエピペンを自分で打てるようになるまでは、心配でたまりませんでした」
遠野さんが娘のことで頭を悩ませたのは、アレルギーだけではなかった。
「登園前、朝6時ぐらいから公園で遊ばせて、幼稚園が終ったあとも、暗くなるまで遊ばせていました。そうでもしないと、いつまでも家の中で走り回って、眠ってくれないのです。とにかく元気な子どもでした……」
睡眠不足の遠野さんが、「ぜんぜん寝てくれなくてつらい」「動き回ってばかりで食べてくれない」と愚痴をこぼすと、追い討ちをかけるように夫は言った。
「へー! 世界中であんただけが大変な母親なんだ?」
親しくしていたママ友から、ママ友の夫が子どもの夜泣き対応をしてくれると聞くと、どんどん協力的でない夫のことが嫌いになっていった。
夫婦の時間が減り、寂しかった遠野さんは、「たまにはデートがしたいから、ベビーシッターを雇いたい」と頼んだが、夫は「お金がもったいない」と一蹴。大きなショックを受けた。
そして娘が2歳になった頃、社会復帰を見据えた遠野さんは「サンフランシスコで取り損ねたMBAを日本で取りたい」と相談。
すると夫は「東大の大学院なら学費を出してやる」と言う。
早速遠野さんが資料を取り寄せていると、「やっぱりやーめた!」と夫は言った。
「正直、殺してやりたくなりました……。それなのに後日、誕生日や記念日でもないのに、シャネルのバッグをプレゼントされたんです。そんなお金があるなら大学院へ行きたかったですね……」
子育てに非協力的で、資格取得にも理解のない夫。
果たして遠野さんは、社会復帰が叶えられたのだろうかーー。
〈後編へつづく:『「夫の共感力のなさにあきれ果て、死んでほしいとさえ願うように…」出産・育児後に社会復帰の壁にぶち当たった50代女性が見つけた逆境を乗り越えるヒント』〉
取材・文/旦木瑞穂