六代目山口組の分裂騒動とは事件が全く異なっている
ところで、当時の山口組分裂と今の六代目山口組の分裂騒動は事件が全く異なっている。当時の山口組を割って出ていったのは、亡くなった三代目に盃をもらった直参たち。つまり三代目の若い衆で、四代目になった竹中組長に反発した者たちだ。組長から盃をもらっていない者を処分することはできない。
そのため山口組は一和会を処分できず、絶縁状という形をとる。だが六代目山口組の分裂は、組長の司忍から盃をもらった六代目の若い衆が、六代目を裏切って造反し組を出ている。
「構図的に考えれば、山一抗争はシンプルだ。次に親分になるヤツがいやだから、出ていった。だから彼らは菱の代紋を下ろし、名前に山口組を使わなかった。会を結成したものの切り崩しにあってやられたから、やり返して組長たちを殺したら、自分たちがもっとやられて解散に追い込まれた。だから出ていった組員のほとんどが山口に戻ったはずだ」(A氏)
一和会はその後、組長の引退などが続き組員数が激減。1989年3月、山本会長が自らの引退と一和会の解散を警察に届け、山口組に謝罪し、抗争は終結した。
旭川刑務所で刑に服している石川は、この一報を聞きどう思ったのだろう。
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取材・文/島田拓
集英社オンライン編集部ニュース班