幕末、国のために奔走した
若き〝官僚〟たち

幕末。泰平の眠りをさました黒船来航。その時、幕府の若手幕臣たちは何を考え、どう行動したのか?

『隠蔽捜査』などの警察小説で警察機構の官僚文化をリアルに描き、『武士マチムラ』『宗棍』などで琉球空手の歴史をダイナミックに作品にしてきた今野敏さん。新刊『海風』は、幕末を舞台にした歴史小説です。

迫られる攘夷か、開国か─。迫り来る欧米列強を前に揺れに揺れる徳川幕府。未曽有の国難に遭遇して、幕府の官僚たる若き幕臣たちが、国のために奔走する姿を描きます。

ベテラン作家が「今」、歴史小説に挑んだのはなぜなのでしょうか。そして、『海風』で描きたかったこととは? 今野さんにお話をうかがいました。

聞き手・構成=タカザワケンジ/撮影=露木聡子

幕末、国のために奔走した若き“官僚”たち『海風』今野 敏 インタビュー_1
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「薩長史観」への疑問があった

――『海風』には黒船来航という国家の一大事に、江戸幕府がどう対応したのかが臨場感たっぷりに描かれています。幕府内でこんなことが起きていたのか、と知らないことばかりでした。

 私も知らないことばかりでした。だから書くのが大変で大変で。うっかり連載を始めて、「しまった」と、連載中ずっと後悔していました。

――そんな(笑)。

 本当に大変だったんです。調べることが多くて、普通の原稿の三倍から五倍時間がかかりました。

――今野さんの幕末の歴史小説としては二〇二〇年に出た『天を測る』(講談社)がありますね。主人公は咸臨丸で渡米し、算術・測量術でアメリカ人をあっと言わせた小野友五郎。『海風』にもチラッと登場しますね。

 出てきますね。あの時代、優秀な幕臣が何人もいたんですけど、その中の一人が小野友五郎です。大エリートですから出さないわけにはいかない。しかも小野はもとは幕臣ではなく笠間藩士の出で、一本釣りされた英才なんです。

――『天を測る』は小野友五郎が咸臨丸でアメリカに渡る物語ですが、『海風』はその少し前の時代を描いています。

 時代的にはつながりますね。というのは、もともと幕末から明治維新にかけての歴史にずっと疑問があっていつか小説に書こうと思っていたんです。その当時のことが薩長史観でしか語られていないのはおかしい。そんなはずないだろうとずっと思ってたんですよ。

 いろいろ調べてみると、明治政府を支えたのは幕臣なんですよね。大河ドラマの『青天を衝け』で描かれた渋沢栄一をはじめとして、大勢の幕臣が日本の近代化に貢献した。だから、幕臣、あるいは幕藩体制の側にいた人たちが何をしたかを描かないと、本当の幕末、維新は見えてこないだろうと思ったんです。私は本当は「明治維新」とは言いたくないんです。薩長が維新を成し遂げたというより、幕府が自分たちで幕を引いた。「幕府の瓦解」と言いたいんですけどね。

――そう思われるようになったのは、いつ頃からですか。

 かなり前からですね。うちの家系はもともと東北なんです。

――ご出身は北海道ですが、ルーツが南部藩だとうかがっています。

 そうです。生まれたのは北海道なんですが、我が家のルーツは、戊辰戦争のときにできた奥羽越列藩同盟に加わった南部藩。ですから、薩長史観はどうもうさんくさいとずっと思っていたんですよ。

 それに、ここ十年ぐらい、毎年、会津へ行く機会があったんです。会津若松市の会津まつりで、旧会津藩の藩士に扮した人たちが街を練り歩く「会津藩公行列」というイベントがありまして、その行列に筆頭家老の西郷頼母役で参加しました。その影響もあるかもしれないですね。会津から見るのと、薩摩・長州の側から見るのとでは、幕末から維新はまったく違って見えますから。

若きエリート官僚が躍動した時代

――今回の『海風』は幕臣の永井尚志を中心に、永井と学生時代から親しく交流していた岩瀬忠震、堀利熙の三人の活躍が描かれています。この三人を描こうと思われたのはなぜですか。

 江戸の官僚小説を書こうと思ったんです。それも現代でいえばキャリア採用で入庁して忙しく働いている若手の官僚たちを。幕末でそれに当たる人が誰かと考えたらこの三人だったんです。昌平坂学問所を出て幕臣になり、その能力を買われて取り立てられていく。現代でいえば東大法学部を出て官庁に入ったエリートたちと同じような立場です。じゃあ、この人たちで幕末を舞台にした若手の官僚小説を書けるなと。発想としてはそこからですね。

――若き官僚たちが活躍する時代として選んだのが幕末だったのですね。

 そうなんです。幕臣がやった仕事でハイライトになるなと思ったのは安政五カ国条約。江戸幕府がアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと結んだ条約です。つまり外交。現代でいえば外務官僚の仕事です。

――『海風』の冒頭は永井と岩瀬が黒船がやってきた衝撃を語っているところに堀がやってくる場面です。三人は昌平坂学問所の学友でしたが、永井はまだ大した仕事はなく、岩瀬は昌平坂学問所の教授方。家柄の良さで早くも大役を担っている堀が、永井が江戸城に呼ばれることを告げにきます。堀の従兄弟で、三人のうちもっとも頭のいい岩瀬もやがて取り立てられ、三者三様に外交に関わることになります。老中首座の阿部正弘が若手幕臣を抜擢していったわけで、江戸幕府は単なる旧体制ではなく、内部では改革しようとしていたんですね。

 あの時期の幕府はものすごいスピードで改革しようとしているんですよ。トップの阿部が急進的過ぎて、周りが「ちょっと待てよ」と止めていたくらいで。

――しかも、驚いたのはその若さです。

 永井が目付に取り立てられたのが数えで三十八歳。阿部は永井よりさらに三歳年下ですから。

――阿部のような若い老中首座が同世代の優秀な人材をピックアップした。

 そうなんです。だから、戊辰戦争さえなければ、幕臣によるいい政府ができた可能性もあったと思いますね。

――今野さんのお書きになる阿部正弘がまたいい味を出しています。永井に「かしこまるなよ」とかカジュアルに話しかけて。

 ああいう性格だったんだろうなと思いますね。ものすごくせっかちだったらしいし、どんどん現場に顔を出していたらしいですし。まだ若く、永井とは世代も近い。必然的にああいうしゃべり方になりました。後は官僚小説なので、いかにも官僚の人間関係だという雰囲気が出ればいいなと。

――なるほど。それは今野さんが警察小説でお書きになってきた警察官僚の世界と重なりますね。

 そうですね。『隠蔽捜査』なんかで培ったものだと思います。

――黒船来航でまったなし、という状況で、阿部は改革を進めようとしますが、当然抵抗もある。長く続いてきたシステムを変えるのはやっぱり難しいんだなとも感じました。

 改革するといっても、二百五十年以上続いてきた体制ですからね。基本的に幕府はものすごく保守的だと思うんですよ。そこで何か新しいことをやろうとするのは大変だっただろうと。今の日本にも似たところがあるんじゃないでしょうか。

――僕も読んでいて、まさに今の日本のことを思いました。

 官僚の大変さというか、改革の大変さは今も変わらないでしょうね。

――今の日本でいえば、高度経済成長で世界で一流の国になったという成功体験から、いまだに抜け出せないところがありますし。

 そうですね。でも、幕末はもっと根が深いんです。というのは、個人ではなく家単位でものを考えなくちゃいけない。侍にとっては家を存続させることが何より大切ですから。幕臣たちはそういう立場にいつつ、前例のないことをやろうとしたわけで、それはなかなか大変だったと思いますよ。ただ、やっぱり優秀だったんですよね、ものすごく。