大韓航空機爆破事件の大統領選挙への影響

この時、韓国は大統領選挙の最中で、4人の与野党有力候補が、軍政の延長か民政への移行かをめぐって激しい選挙戦を繰り広げていた。事件の風向きによっては、国民の投票意識がどちらに傾くか、政権維持か政権交代かの重大な局面であった。

そこに、大韓航空機爆破事件は、軍事政権が大統領選挙(12月16日投票)を前に、局面を与党候補に有利に働かせるために作り上げた〝自作劇〟だという疑惑が持ち上がった。また、政府側も安企部(あんきぶ:国家安全企画部)の陣頭指揮のもと、実務対策本部を設置して広報活動を展開。

安企部は実行犯2人が毒薬を飲んだという知らせを受けると、北朝鮮の工作員であると断定し、事件を与党候補に有利に活用するためにあらゆる工作を推進した。

安企部の捜査担当課長が関連資料を持参して、12月2日、急ぎバーレーンに飛んだ。証拠や疑問点などをバーレーン当局に提示して説明し、実行犯2人は北朝鮮工作員であると断言、事故機の登録国であり、被害者が最も多い韓国側に犯人を引き渡すように説得した。日本政府も韓国への引き渡しを了承していた。

引き渡しが切実な理由が韓国政府にはあった。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権が大韓航空機爆破事件を有利に活用するには、国民が納得できる確かな証拠が必要だったのだ。しかし、安企部は急ぐあまり内容確認もせず、不確実な情報を選挙用に発表することもしばしばあって、各種の疑惑を誘発したため、大統領選挙は混沌としていた。

そもそも国民に信頼のない軍事政権ゆえに〝自作劇〟が信じられる側面があった。北朝鮮自身も、安企部要員が機内に爆発物を設置して途中の帰着地に降りたとか、金賢姫をバーレーンから連れてくるために韓国政府がバーレーン政府に数千万ドルを提供したと主張し、これを韓国内の支援勢力が軍事政権ならあり得る話だと噂を広めたりもした。

金大中(キム・デジュン)政権、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で、「大韓航空機爆破事件は軍事政権の捏造によるもの」という疑惑が再び頭をもたげたため、2005年2月から「国家情報院過去事件真実糾明発展委員会(真実委)」が大韓航空機爆破事件に関して、真相究明のために当時の安企部など関連部署が保存している資料などを分析し、関係者とのヒアリング等を通じて調査した結果、真相が明らかになった。

真実委の調査によれば、金賢姫を大統領選挙投票日前日の12月15日までに移送するよう働きかけた文書が、安企部の資料に多数存在していたのだ。

1987年12月14日付「大韓航空機事故状況報告(12)」は、「金賢姫の身柄が遅くても12月15日(火)午後6時(韓国時間)までソウルに到着しなければならないという方針の下でバーレーン側と多角的な引き渡しについて交渉中」と報告している。

朴銖吉(パク・スギル)外務次官補のバーレーン到着後の最初の報告電文では、「現地派遣捜査チームは第一案(12月10日23〜24時当地出発)、第2案(12月11日23〜24時当地出発)、第3案(12月12日までに到着可能な時間出発)などをバーレーン側に非公式に提示し、両国実務者間で検討したい」と報告している。

実際、蜂谷真由美の移送は12月15日に行なわれた。蜂谷真由美とともに蜂谷真一の遺体、所持品などを乗せた大韓航空特別機がバーレーン空港を離陸、午後3時頃、金浦国際空港に到着した。

飛行機から降りる彼女の口には自殺防止用の道具がはめられ、その映像は世界中の人々の目に焼き付けられた。韓国内のテレビやラジオは、この日早朝からトップニュースで〝蜂谷真由美、今日到着〟を繰り返し放送し、到着してからは真由美の印象的な映像を繰り返し流した。

外務部担当のアナウンサーがテレビ中継でこのことを伝えると、国民は画面に釘くぎ付づけになり、関心は大統領選挙よりも大韓航空機爆破事件に集まっていった。

真実委は、与党側が政府各部署の合同で構成された「大韓航空機失踪事故実務対策本部」を通じて大統領選挙で盧泰愚候補の当選を支援するため、この事件を政治的に活用したことを確認している。

(画像2) 自殺防止用の道具をはめられ飛行機から降りる金賢姫。写真/共同通信社/ユニフォトプレス
(画像2) 自殺防止用の道具をはめられ飛行機から降りる金賢姫。写真/共同通信社/ユニフォトプレス

この事件発生後、相当数の票が与党候補に流れたことは推測できる。しかし盧泰愚当(ノ・テウ)選の決定打であったかどうかは定かではない。大統領選で野党候補が敗北した主因は、むしろ候補者の分裂によって野党票が割れたことであろう。

金賢姫は、当初は捜査官の尋問に嘘をついていたが、12月23日から心境の変化が生じ、自白を始めた。ソウルに移送されてから8日目である。

金賢姫は1990年3月27日、大法院で死刑宣告を受け、4月12日、大統領裁可で赦免された。1997年12月、鄭炳久(チョン・ビョング)元情報部捜査官と結婚し、2000年秋に長男、2年後には長女が生まれた。

真実委の調査により、金勝一と金賢姫が北朝鮮の工作員であったことが確認され、同時に、韓国政府が事件を大統領選挙で有利に利用しようとして投票日前に金賢姫を移送するための外交的努力を尽くした点と、安企部が中心になって政府主導の「北傀(北朝鮮)蛮行糾弾決起大会」を投票日直前の12月10〜13日に全国各地で開催させたことなどを指摘、政府ぐるみの官営選挙運動であったことが明らかになった。

1987年12月16日、第13代大統領選挙が実施された。全斗煥の分析通り、野党は候補を一本化できず、別々に選挙を戦った。与党民正党候補・盧泰愚に対し、野党は統一民主党(民主党)・金泳三(キム・ヨンサム)、平和民主党(平民党)・金大中、新民主共和党(共和党)・金鍾泌(キム・ジョンピル)が立候補した。

選挙結果は、盧泰愚・約828万票、金泳三・約634万票、金大中・約611万票、金鍾泌・約182万票。野党三候補に票が分散、都合よく大韓航空機爆破事件が発生し、盧泰愚は漁夫の利で当選した。

1991年、アメリカでジョージ H.W. ブッシュ大統領とテニスをする盧泰愚 写真/shutterstock
1991年、アメリカでジョージ H.W. ブッシュ大統領とテニスをする盧泰愚 写真/shutterstock
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誰よりも盧泰愚の当選に安堵したのは全斗煥だった。少なくとも5年間は影響力を行使できると判断したのである。盧泰愚の大統領就任直後は、国家元老諮問会議議長として人事を掌握し、影響力を行使していた。

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