経済界主導の招致活動

ソウルオリンピック招致は、韓国の経済発展と潜在力を世界に誇示し、ソ連、中国など社会主義諸国や非同盟諸国との外交関係樹立のうえで絶好の機会となった。しかし、当時の韓国はどう頑張ってもオリンピックの開催は不可能と関係者は内心思っており、すでに名乗り出ている名古屋市の競争相手にもなれないという見方が圧倒的だった。

それを逆転させたのが、現代グループ創業者・鄭周永(チョン・ジュヨン)の奇抜な作戦だ。

(画像1) ソウルオリンピック招致に活躍した現代グループ創業者の鄭周永。写真/共同通信社/ユニフォトプレス
(画像1) ソウルオリンピック招致に活躍した現代グループ創業者の鄭周永。写真/共同通信社/ユニフォトプレス
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1981年5月、現代グループ会長の鄭周永のところに文教部体育局長が「オリンピック招致民間推進委員長辞令状」を持ってやってきた。事前にそのような話は一切なかった。話を聞いてみると、名古屋市と争って勝てるわけがないのに、大統領からの指示を受け、オリンピック招致関係閣僚会議で官僚たちの知恵として浮かんだのが民間への丸投げだった。

政府が恥をかかないような方法として、本来ならば招致都市のソウル市長が引き受けるべき招致推進委員長を民間経済人にやってもらい責任逃れしようという画策だった。

提案したという李奎浩(イ・ギュホ)文相は、「無から有を創造し、強靭な精神力と機知によって現代を世界的な企業に成長させた底力と、海外において数々の神話を残し、韓国企業の位相を高めた能力を高く評価した」と称賛の言葉を並べ、鄭周永にオリンピック招致民間推進委員長を依頼した。

当時、鄭周永は全国経済人連合会長職にあったので、民間経済人団体の長の役割として引き受けた。

チャレンジ精神が旺盛な鄭周永は、これはやりがいのある仕事だとひそかに考えながら、作戦を練った。オリンピック招致に対する政府の意思や経過、そして否定的な雰囲気などもおおよそ分かってはいたが、一度関係者の意見を聞いてみようと会議を開いた。