DNA鑑定を聞いて、育ての両親と同居
そして前述の通り、医師から直接、衝撃的な結果を告げられた。
このとき江藏さんは46歳。父は「今さら血縁のある息子と会ってもしょうがない」と、弟は「兄貴は一人で充分だ」と、今までの生活を変える気はないとその結果に取り合わなかった。
そして江藏さん自身も、血縁関係がないと判明したことで、不思議と両親に親孝行すべきだという気持ちが強くなった。当時、江藏さんは福岡で自動車関係の事業を営んでいたものの、事業を畳んで実家の東京に戻った。14歳まで育ててもらった恩返しをしようと、父母と共同生活を送ることにしたのだ。
しかしそれでも、育ての親に孝行したい気持ちとはまったく別に、自分の真の出自を知りたいという気持ちは収まらなかった。そこで江藏さんは、育ての両親と同居しながらも、隠れて孤独に実親探しを始める。
いわばここから、江藏さんは育ての親のためにつくす息子をまっとうしながら、同時に実親を探し求めるという、自身のアイデンティティが乖離したかのような生活になっていく。
3億円で損害賠償請求
ところが、実親探しは難航した。
まずはじめに、江藏さんは東京法務局や墨田区役所などの行政に出向いたものの、とても協力的ではなかった。かろうじて当時、住民基本台帳(住民票を編成したもの)を閲覧できたので、約35万人分の台帳から、同年同月に生まれた約70人を調べ上げた。その70人を回って出生の情報を聞き、自分と取り違えられた可能性がないかを調べ上げていった。
それでも該当者は見つからず、次は名簿業者から同年同月生まれの名簿を購入した。1軒あたり数十円から百円ほどかかる名簿だが、江藏さんは有り金をはたき、10万件近い名簿を買い漁った。しかし、それらはすべて使えない名簿で、電話しても不通のものや、所在がないものだった。
ときには、当時の墨田病院に勤務していた医師の情報が入ることもあった。そうしたときは毎回、遠方まで出向いて面会を申し込んだものの、決まって門前払いを食らった。
そして2004年、江藏さんは不法行為による損害賠償を求めて東京都を提訴することに。もちろん損害賠償が認められるに越したことはないが、1番の目的は実親やその家族が名乗り出てくれることだった。
この年の10月、莫大な印紙代を払って提訴の告知をし、法外な3億円という損害賠償請求に踏み切った。世間からの注目を集めるためだ。結果的にメディアからの報道は相次ぎ、一審では取り違えがあったことが認定され、二審では都から2000万円の賠償金も支払われた。
しかし、江藏さんにとって、過失が認められ勝訴しても気持ちは晴れなかった。肝心の実親が現れなかったからだ。