次女の幻聴が以前より減ってきて

今年2月、これらのことを集英社オンラインに書かせていただいたことで、統合失調症という病を抱えた多くの皆さんと繋がることができ、情報交換や励まし合いといったことがごく普通にできるようになりました。

ある方は、中学の時に統合失調症を発症した娘さんにミーのことを話したところ、「ミーちゃんに送って」と言って自身が描いた絵を持ってきてくれたそうです。そして、その絵をスマホに撮って私に送ってくれました。

ミーは「すごい、上手」とじっと見つめていました。この娘さんはミーより一つ年下だとか。

また、私の講談の生徒さんのなかには、私の記事を読んで「先生も頑張っている、よし自分も」と気合いが入り、メキメキ上達している人もいます。何か微笑ましいような不思議な気がしております。

何よりよかったのはミーの幻聴が以前より減ってきたことです。幻聴のことをミーは「透明人間」と表現していて、一日中大勢の「透明人間」が「あーだこーだとうるさい」と、いつもイライラしていました。

もちろん看護士さんたちのケアや薬が合ってきたということもありますが、やはり、見守ってくれている人たちがいることが励みになっていると思うのです。虚ろだった目が今では生気を帯びてきたように感じます。

先月は面会の帰りに「お母さん、今日は写真撮らなくていいの」とも。自分の元気な様子を応援してくれる皆さんに知らせてねというミーの気持ちでしょうか。

「統合失調症の娘の虚ろだった目が生気を帯びてきて…」講談師・神田香織さんを支えた1冊の本と、映画「生きて、生きて、生きろ。」_3

そして6月13日。この日の面会で、まず目に入ったのはミーのほどよく伸びた髪。思わず「とてもきれい」と言ったら「今お風呂に入ったばかりだから」とはにかむような笑顔をみせてくれました。事故前の何気ない日常のワンシーンが蘇ったようでした。

ただ、幻聴は減ったとはいえ消えることはなく、最近は5、6人の透明人間が痴漢をしてくるとぼやいていました。

また「年配女性の透明人間にみたらしバター餅を作ってあげる約束をしたので、そのために自宅へ外泊したい」と半年ぐらい前から訴えているのですが、それもそのままです。

今夏は講談「はだしのゲン」パート2も

さて、肝心の治療の方は、前回お知らせしたように膝から下が残っている左足に義足をつけてリハビリテーションをするため、相談員の方が民間のみならず、市立、県立、国立の精神科があるリハビリーションセンター数カ所、さらには前にお世話になった都内のセンターにも問い合わせてくれたのですが、そのすべてで断られました。

理由は精神科の先生がいても病棟が無い。あるいは症状が悪くなった時に対応ができない、といった最悪のケースを考慮しての判断です。

相談員の方が「症状が悪くなったらこちらで引き取る」と言っても断られたとのことですが、せめて公立の病院は受け入れを前提に検討してほしいと願います。

話は戻りますが、私はトークをこう締めました。

「この映画は最初から泣かされて、最後も泣かされるのですが、最初の涙と最後の涙は違うんです。どんな絶望の淵に立っていても、何かをとっかかりとして一日一日を生きていくことができることをこの映画は教えてくれました」

まさに今のミーもその通りだと思うのです。フェイスブックのミーの写真に「元気そうでよかった」「目がしっかりしてきたね」とコメントをいただきました。ミーにとっての「とっかかり」は自分のことを励まして、応援していくれる人たちがいる、ということだと思うのです。

メディアのコラムという場をお借りして申し上げるのも恐縮ですが、今までずっと沈黙を守ってきた私からあえてあらためて言わせて下さい。どうかこれからもミーを応援してもらえましたら幸いです。

最後に今夏は実に18年ぶりに「はだしのゲン」の続編「パート2」を高座にかけます。

ウクライナ戦争、そしてガザ攻撃でも多くの命が失われています。その姿は戦時中、原爆投下や東京大空襲をはじめとした各地への空襲、沖縄戦などで殺戮されたわが国の赤ん坊や子どもたち、女性、お年寄りたちと同じです。

戦争体験者が少なくなっている今こそ、ゲンの姿を通じて戦争の惨禍を我がことと感じてもらいたいと願います。

文/神田香織