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「飛んでごらん」との幻聴が聞こえて…

「統合失調症の娘を持つ母」として。講談師・神田香織さんがこれまで封印してきた“自分語り”を決意した理由_1
神田香織。福島県いわき市出身。1981年、二代目神田山陽に入門。1989年に真打昇進。1986年、講談「はだしのゲン」公演で日本雑学大賞を受賞するなど、社会派講談の第一人者として知られる
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私には19歳の時に統合失調症を発症した娘がいます。二番目の娘で幼い頃から「ミーちゃん」と呼んでいました。

そのミーが30歳になった年のこと。日本がコロナ禍にあった2020年8月15日に当時暮らしていた江東区のグループホームの3階自室から落下し、全治6ヶ月の大けがを負ったのです。

そのときの彼女の記憶によると、窓から洗濯物を取り込もうとしたとき「何度も『飛んでごらん』という声が聞こえ誘われるように身を乗り出した」そうです。

窓枠の手すりをまたいで落下する瞬間に、「あっ!これはいけない」と気が付いて、頭を両手で抱えたことでかろうじて急所の直撃は避けられたのですが、地面にたたきつけられて複数箇所を複雑骨折。そして排泄障害を負うことになりました。

警察から一報を受けたときのショックは今でも忘れられません。つい数時間前に昼食をともにしたばかりでしたから尚更です。この日はお盆休みで、グループホームのアパートにはスタッフも利用者も、他に誰もいませんでした。

大急ぎで病院に駆け付けたのが19時すぎ。このときは手術の真っ最中でロビーで待機しました。朝5時頃にやっと終わって、執刀医からは数回手術を重ねる必要があると聞かされ、呆然としながら帰宅しました。

娘の顔をひと目、見たかったのですが、ときはまさに新型コロナウイルスの感染拡大を抑える時期で、母親といえど面会が許されない状況でした。9月初旬、一般病室に移った際「ひと目でも会いたい」と伝えたのですが、断られてしまいました。

それからは毎回ナースステーションに日用品を届けては帰るだけ。9月の連休のときも後ろ髪を引かれる思いで帰ろうとしたところ、若い看護師さんが「面会はできませんが、廊下から顔を見ることはできますよ」と配慮してくれました。

カニューレを入れているので声は出せないものの、娘はニコニコしながら手を振ってくれました。途端に涙が溢れて「生きていてくれてありがとうね」と自然に言葉が出ました。このときは本当に看護師さんが白衣の天使に見えたものです。

コロナ禍で仕事はほとんどキャンセルとなり、この頃は病院通いが仕事のようでした。骨折の治療のために4回の手術に耐えた娘は10月半ばにリハビリ病院に転院。さらに3ヶ月のリハビリを終え2021年1月17日に退院。その後、統合失調症に理解があり、20代の頃から娘を見守ってくれていた男性と結婚しました。

私にとってこんな慶事はなく、ミーのすべてを受け入れて愛してくれた方に心から感謝し二人を祝福しました。娘夫婦は千葉に住み、月1、2回の精神科での診察は私が引き受け、入退院を繰り返しながらもふたり仲よく暮らしていました。ただ娘は幻聴が激しく、調子が悪いときは大声を出し、どこからか聞こえてくる声と闘っていて、心配は常にありました。