さかのぼれば1982年、1983年と沖縄県のろう学校(当時)が単独チームとして甲子園の地区予選に出場した記録があるものの、特別支援学校が単独チームとして出場した記録はない。安全面などの関係から、知的障害のある子どもに硬式野球は難しいとされてきたからだ。

だが青鳥特別支援学校を率いる久保田浩司監督は、同校に赴任した2021年以前からずっと、知的障害がある子どもたちが硬式野球に打ち込むための環境づくりに尽力してきた。

当初は無謀とも思われた、「甲子園夢プロジェクト」と名付けられたその計画。全国の特別支援学校の生徒に参加を呼びかけ、元プロ野球選手なども指導を手伝う形で取り組みが実現していった。「知的障害があっても、硬式野球はできます」久保田監督がその言葉を確信するまでの道のりを描く。

久保田浩司監督
久保田浩司監督
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障害児教育に興味があったわけではなかった

青鳥特別支援学校ベースボール部には現在、12名の部員がいる。単独チームとして甲子園地方予選に出場するための最低人数である9名を超えたのは、今年が初めてだ。

「2023年の創部時点では人数が足りず、他の普通学校との連合チームで出場しました。今年は12名の部員がいるので、東京都の高野連から出場を認めていただくことができました。昨年は昨年で感慨深いものがありました。19対23で敗れはしましたが、9回すべて正々堂々、怪我もなく闘い抜いたんです。長く『知的障害のある子どもには硬式野球はできない』と言われた時代を塗り替えたのですから」

久保田監督はそう誇らしげに振り返る。

今年で教員生活37年になる久保田監督だが、養護学校教諭として着任した当初は障害児教育に興味があったわけではなかった。

「お恥ずかしながら、特に関心が強いわけではありませんでした。糞尿を漏らしてしまう子どももいますし、身の回りの世話をするのは思いのほか大変で、『次の異動までがんばろう』くらいに考えていました。

しかしソフトボール部の指導をしたとき、あるダウン症の子どもが『ボールの投げ方を教えてくれ』と言ってきたのです。ソフトボール部といったって、放課後のお楽しみクラブのような色合いの濃いものです。怪我をさせないように見ておくのが仕事だと思っていました」