未来のフィリップ・マーロウ
1977年、売れない映画俳優のハンプトン・ファンチャーは友人のブライアン・ケリーと共同で出資して『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の映画化権を手に入れた。そして自らシナリオにまとめた。
ファンチャーの脚色で『電気羊』にあった2つの大きな要素が縮小された。
1つは「電気羊」。これは、核戦争でほとんどの動物が死滅した世界で飼われるロボット羊を意味している。本物の動物は大金持ちしか買うことができない、庶民の夢だ。この時代の人は、本物の動物を飼う行為ではじめて「人間」として認められる。
主人公デッカードは妻との夫婦仲が冷え切っており、アンドロイドを5人殺して賞金を稼げれば、動物を買って夫婦の心も癒されるだろうと思っている。人間たちは本物の羊を飼うことを夢見ている。
アンドロイドは電気羊の夢を見るのだろうか?というデッカードの疑問が書名の由来である。しかし、動物はファンチャーのシナリオでは小さな役割になった。
もう1つ、ファンチャーが縮小したのは「妻」だ。『電気羊』はジェイムズ・ジョイスの『オデュッセイア』ないし『ユリシーズ』に似た構成で、家を出たデッカードがサンフランシスコの街で地獄めぐりをした後、家に帰るまでの物語だ。
途中、セイレーンのような3人の女性アンドロイドに心を動かされるが、ついに敵を倒して帰ってきたデッカードを、冷たかった妻は優しく迎え、ほんのり温かいハッピーエンドとして幕を閉じる。しかし、ファンチャーはデッカードを女房に逃げられた男と設定し、妻をドラマから切り捨てた。
その代わりにファンチャーが強調したのは、ハードボイルド探偵ものの要素だ。『電気羊』はいちおう刑事が犯罪者を追う話だが、デッカードはフィリップ・K・ディックの他の小説の主人公と同じく泣き言ばかり言っているしょぼくれた小役人だ。
しかしファンチャーは、彼をレイモンド・チャンドラーが描く私立探偵フィリップ・マーロウのようなヒーローとした。舞台をサンフランシスコから、マーロウが活躍したロサンジェルスに移し、マーロウと同じソフト帽とトレンチコートを着せたのだ。
ファンチャーのイメージは『さらば愛しき女よ』(75年)でマーロウを演じたロバート・ミッチャムだったという。そして、マーロウ調の自嘲的な独白でストーリーを進めることにした。これはハリウッドのフィルム・ノワールの手法だ。
文/町山智浩