「京大って意見を対立させることがエンタメ」

三宅 カルトとメジャーの話じゃないですけど、「やりたいこと」と「社会的に求められていること」を分けましょう、っていう流れになっている気がするんですよね、今の世の中が。

たとえば正社員で働きながら同人誌を作って好きなことをやる、みたいな。でも私はそこを両立して、できれば統一したい、やりたいことで社会的に求められたいと思ってしまうので。佐川さんのおっしゃる両立の難しさはすごくわかります。

佐川 どうやって統一していくのかっていう悩みは僕もありますね。三宅さんも、本当に書きたいことが別にあったりするんですか?

三宅 今回の新書はうまくいったんですけど、私は批評とか評論がやっぱり好きなんですよ。そういうものを書いていきたいなっていう気持ちがありつつ、でも批評や評論って書く場所がないと書けない感覚があって。

もちろんブログやnoteのような場所はあるのですが、商業で批評を書く場所を与えられるには、「ここに家を建てていいよ」って言ってくれる業界の人がいないと書けないよなあ……と感じています。

佐川 でも批評や書評も今の時代、難しいところはありますよね。昔みたいにむちゃくちゃ貶したりする批評も受け入れられない世の中じゃないですか。

三宅 まさに思いますね。作家さんから見てもそれは感じますか?

佐川 感じます、感じます。昔の書評って、文芸誌の上でも喧嘩して書評集の中でもボロカスに書くみたいなのがあったじゃないですか。柄谷行人さんとかも「むちゃくちゃやな」って感じですよね。

三宅 たしかに、蓮實重彦の村上春樹評とかひどいですよね(笑)。

佐川 たぶん今もそういう書評を書きたい人とか書ける人はいるんだろうけど、作家というより世の中に求められていないというか。読む人に「なんてひどいことを書くんだ!」みたいに怒られる気がしていて。そのへんのバランスの取り方も難しいのかな、と。

三宅 わかります、わかります。私は根が議論好きだしそれこそ京大って意見を対立させることがエンタメみたいな感覚がわりとありますよね。

写真/shutterstock
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佐川 ありますね。なんかノリで喧嘩して、みたいな感覚ですけど。エヴァのレイ派とアスカ派に分かれてずっと議論してるみたいな(笑)

三宅 そうですよね、意見をぶつけ合う面白さって私は好きなんですけど、なかなか受け入れられないですよね。