母や弟が亡くなり、ついに身体が限界を迎える…
戦後の日本に彗星のごとく現れた歌手、美空ひばり。
9歳で天才少女歌手といわれ、1949年に12歳でレコードデビューを果たすと、同年に主演した映画『悲しき竹笛』の主題歌が大ヒット。それから数年間のうちに国民的なスターとなり、その後は日本の芸能・歌謡界を常に第一線で牽引していった。
その活躍を影で支え続けていたのが、母の喜美枝だった。マネージャーとして、そして母として、ひばりに付き添って尽力してきた。
そんな喜美枝が、転移性脳腫瘍によって68歳で逝去したのが1981年。さらには2人の弟。ひばりプロダクションの社長でプロデューサーとして陣頭指揮を執っていたかとう哲也と俳優・歌手の香山武彦も、1983年と1986年に共に42歳の若さで亡くなってしまう。
わずか数年で3人もの肉親を失うという深い悲しみの中で、ひばり自身の身体までもが次第に蝕まれていった。そして1987年4月22日、ついに身体が限界を迎えることになる。
全国ツアー公演先の福岡市で緊急入院。重度の慢性肝炎および両側特発性大腿骨頭壊死症と診断された。予定は全てキャンセルされ、療養生活に専念することになった。
そんな中、今度は親交が深かった昭和の大スター、鶴田浩二が6月16日に62歳で他界。さらには7月17日、よき友だった石原裕次郎も52歳で永眠。
精神面でのダメージを受けていたはずの美空ひばりだったが、入院から3か月半後の8月3日に退院して、気力だけで東京の自宅に戻った。そこで復帰の日を待つことにした。