敵国だったアメリカで生まれた陽気なビートが原点

1945年、アメリカ軍の空爆ですっかり焼け野原になった日本。何もかも失って餓えずに生きていくことだけで精一杯であった人々を励ましたのは、敵国だったアメリカで生まれた陽気なビートだった。

作曲家の服部良一は、敗戦の悲嘆に沈んでいる日本人に、力強くて活力になる音楽を提供することが音楽家の仕事だと考えていた。

焼け跡となった心寂しい銀座を歩いている時、偶然聴こえてきた『星の流れに』から連想したのはブルースだった。

そこで服部が『焼け跡のブルース』というのはどうだろうと口にすると、ジャズ評論の第一人者で作詞家でもあった野川香文から、「今はブルースを作る時期ではない。ぐっと明るいリズムで行くべきだ」と言われた。

その瞬間、それならブギウギがいいと思いついたのだった。

「何か明るいものを、心がうきうきするものを、平和への叫び、世界へ響く歌、派手な踊り、楽しい歌……」

服部はアメリカの音楽を聴くことも演奏することも禁止されていた戦時中に、アンドリュー・シスターズのヒット曲『ビューグル・コール・ブギウギ(Boogie-Woogie Bugle Boy )』の楽譜を手に入れて、そこでブギウギと出会っていた。

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ピアノで演奏されるブギウギは、ブルースが内包しているダンス音楽的な要素を前面に打ち出したビートが主役で、左手が1小節に8個のビートを刻む点からも、明らかにロックンロールの原型である。