日本人のレモン神話を支える「苦痛信仰」
はるか昔の大航海時代、航海中のビタミンC不足から起きる壊血病に、レモンやオレンジなどの柑橘類に治療の効果があることを当時の人々はすでに知っていた。
1747年には、イギリスの海軍医ジェームズ・リンドが壊血病の船員に臨床実験を行い、その治療における柑橘類の有効性を実証した。
それから長い年月を経た1919年、ジャック・ドラモンドはオレンジ果汁に壊血病を防ぐ物質を発見し、翌年に「ビタミンC」と命名。以来、多くの化学者たちがオレンジやレモンの果汁からビタミンCを取り出そうと試みた。
その栄誉を手にしたのは、ハンガリー出身の生化学者セント゠ジェルジ・アルベルトだった。1927年、彼が牛の副腎から単離した結晶がのちにビタミンCだったことが判明した。結局のところ、最初にビタミンCを取り出したのは柑橘類からではなかったが、それまでに費やした長い時間は「ビタミンCといえば柑橘類」という思い込みを人々に浸透させるのに十分だった。
植物学者の塚谷裕一は『果物の文学誌』(朝日新聞社、1995年)で、おもしろいことを述べている。世界の化学者たちがビタミンCを取り出そうと格闘していた同じ頃、日本でも慈恵医大の永山武美は柑橘類やダイコンから、また日本初の女性農学博士である辻村みちよはダイコンのしぼり汁や夏ミカンから、ビタミンCの結晶化に挑んでいた。
そして、もしこれが先に成功していたら、「『これ一錠にダイコン30本分のビタミンC!』/などという宣伝文句となっていたかもしれない」というのである。
だが、ダイコンだったら、はたしてレモンほどに注意を引いただろうか。塚谷は、「レモン神話は、あのきつい酸味から来る苦痛が発想の源なのではないか」といい、レモン神話を支えているのは「苦痛信仰」だと断じている。
酸っぱければ酸っぱいほど、効き目がありそうな気がする──つまり、酸味が健康とリンクし、健康のイメージからビタミンCも混同され、レモンがありがたがられているということだ。
レモン神話を生んだ源が酸味にあるという塚谷の指摘に賛同しつつ、加えてもう一つの要素を挙げてみたい。それはレモンイエローと呼ばれる、あのあざやかな黄色である。
ビタミンCが豊富な酸っぱい果物といえば、レモンのほかにもビタミンC含有量ナンバーワンのアセロラや、1997年(平成9)に本格的に輸入が始まったアマゾンのスーパーフルーツ、カムカムなどが浮かぶ。でも、それらはみな赤い。赤は完熟した果実を連想させるため、甘さをイメージさせる。対して黄色の明るさは、若さやフレッシュさを思い起こさせ、酸っぱさと結びつきやすい。
あざやかなレモンイエローとさわやかな酸味、つまり見た目と味とがぴったり重なるからこそ、レモン神話が定着したのではないか。そしてそれは、広告がカルチャーとしてもてはやされた1980年代を通じ、さらに強固なイメージとなっていったのだ。
文/澁川祐子 写真/shutterstock