「貧乏」と「貧乏くささ」の違い
これまでずいぶん長く生きてきたが、日本の国力がこれほど低下した時期はなかった。パンデミック、異常気象、ロシア・ウクライナ戦争……地球的規模での大きな問題が目白押しのところに、国内では、政治とメディアの劣化がとめどなく進行し、経済は衰退局面を転がり落ち、国民生活の最後の支えである教育と医療も気息奄々というありさまである。どこにも希望が見られない。
それでも気を取り直して、よくよく見れば、日本の国力にはまだまだ余力がある。列島には豊かな山河がある。温帯モンスーンの温和な気候と肥沃な土壌と豊かな水資源に恵まれ、植物相・動物相は多様で、温泉や桜や紅葉の名所や神社仏閣のような観光資源はいたるところにあり、食文化もエンターテインメントも伝統芸能も世界標準を超えるものがいくつもある。「国力そのもの」には十分な厚みがある。
これを国民みんなが大切に使い延ばし、守り育ててゆけば、あと百年くらいは「豊かで暮らしやすい国」として存続させることは難しいことではない。
しかしまことに不思議なことだが、そういう穏やかな未来図を描く人は政官財にはいない。メディアにもいないし、学術の世界でもまず見かけない。見かけるのは目を血走らせて「起死回生の大博打」を狙っている人たちばかりである。
防衛費を倍増させて、「いつでも戦争ができる国」にしようと鼻息の荒い政治家がおり、五輪だ、万博だ、カジノだ、リニア新幹線だと「これに成功すれば、経済波及効果は何兆円」というような「取らぬ狸の皮算用」に夢中になっている企業人や官僚がおり、「生産性のない者は生きている価値がない」と揚言する学者やコメンテイターがいる。
そして、一方には、低賃金に喘ぎ、ブルシットジョブで疲れ切り、ハラスメントでメンタルを壊されて、暗い顔をして職場に通う労働者がいる。
「豊かなはずの国」で、なぜ人々はこんなにも「貧乏くさい」のだろうか。「貧乏」と「貧乏くさい」は違う。まずそのことを明らかにしておきたい。
貧乏というのはクールでリアルな経済状態のことである。精神状態とは直接にはかかわりがない。だから、貧乏でも心豊かに暮らすことはできる。
私が子どもの頃の、関川夏央が「共和的な貧しさ」と呼んだ1950年代の日本社会はそうだった。長い戦争が終わり、もう徴兵されることも空襲を逃げ回ることもなくなり、憲兵や特高や隣組に怯えることもなくなった社会で、大人たちは貧しいけれども、心安らかに日々の生業に励んでいた。家はあばら家で、服は着たきりで、ご飯はおかず一品だけで、遊び道具も何もなかったけれど、私にとってはまことに愉快な子ども時代だった。
近所の人たちもみな貧しく、それゆえ助け合って暮らしていた。食べ物を貸し借りし、質屋の使い方を教え合い、小さい子どもを預かり合った。まだ行政が十分に機能していなかったから、防犯も防災も公衆衛生も、町内で協力して何とかするしかなかった。
冬の夜は大人たちが「火の用心」と言いながら、町内を巡回し、日曜の朝は総出で「どぶさらい」をした。子どもたちはさまざまな工夫を凝らして遊びを発明して、日が暮れるまで路地や神社の境内で時を忘れて遊び続けた。貧乏だったけれど、子ども時代の私はまったく不幸ではなかった。
それでも、時々は玩具であったりお菓子であったり、何か買ってほしいものがある。母親に「買って」と一応言ってはみるが、いつも「ダメ」と即答された。「どうして?」と訊くといつも「うちは貧乏だから」という答えが返って来た。「どうして貧乏なの?」と重ねて訊くと「戦争に敗けたから」で対話は終わった。それ以上は訊いても仕方がないことは子どもにもわかった。
1950年代、60年代の日本人は「貧乏」だったけれど、「貧乏くさく」はなかったのだ。