野村證券NY支店―「腐れ玉」の行方

1986年、スタンフォードビジネススクールを卒業した後、私は野村證券のNY支店に日本株の営業要員として配属になりました。時代は日本の株式市場がバブル入りする直前でした。野村證券の高速回転商い、相場の吊り上げもだんだんと勢いを増し、それは1990年1月のバブル崩壊まで続きました。

少し大げさな言い方になるかもしれませんが、当時の野村證券の株式営業はこういう仕組みで成り立っていました。

まず、「将来は役員間違いなし、ひょっとしたら社長になるかも」というA支店長が株式部とつるんで手掛ける銘柄を決めます。例えば、A支店で100円のX株を大量に仕込んで客にハメる(客に買ってもらう、客に買わせる)のですが、大量に買うので自然と株価は上がり110円まで行ったとしましょう。

すると次は、そのA支店長の子飼いのB支店長が客に上値を買わせます。X株はA支店の客からB支店の客に移動するわけです。さらに120円まで買い上がると今度はC支店が参戦してきます。その次はD支店が130円で参戦……と順繰りに回っていくのです(ペッキングオーダーということですね)。

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最初のA支店の客はまず損をしないのでクレームは出ません。客は再び次の銘柄を買わされることになります。しかし、成績No.1の支店長から始まって成績のいい順番にX株が移っていくと、最後の支店は一番高値でX株を買うことになるので悲惨です(もちろん現実はもっと複雑ですが、ここではわざと単純化しています)。

こういうやり方で成績の良い支店長はますます成績が良くなり、成績の良い子分もいっぱいできて出世街道を突き進むことになります。A支店長が常務にでもなればB支店長やC支店長のような忠誠心の厚い子分も部長や役員に引き上げてもらえる確率が高くなるというわけです。

さて、最後に行き場をなくしてE支店でしこっているX株ですが(「腐れ玉」と言います)、そのままだとE支店の営業成績が落ちるので今度は海外支店でハメようとします。海外支店が腐れ玉の最終処分場というわけです。

「お前らで客にハメろ」…バブル崩壊前夜! 野村證券の株式部長Kが持ってきた“腐れ玉”案件とは?_2

でも、NYでは基本的に客は言うことを聞かないのでうまくいきません。そこで香港支店やロンドン支店に圧力がかかるのですが、現地の営業マンはかわいそうでしたねえ。

私は入社して1ヵ月でこの会社では出世できないと確信していましたから、腐れ玉のからむ営業は適当にごまかしながらやっていました。出世にはまったく興味がなかったし、外資系証券会社に移ることだけを考えていました。

私がNY支店に異動してしばらくし、日本株のバブルが頂点に近づくと、株価が割高になりすぎて、もう理屈で説明できる範囲を逸脱してきました。そこで、「土地の含み益」を純資産に加えてそれで時価総額を割った「Q Ratio」という指標がにわかに証券会社の応援旗の役割を果たすようになります。

しかし、これは土地の評価額がばかばかしく過大評価されているのでまったく意味がない概念でした。「K電鉄株は、株価1000円、一株当たり利益(EPS)10円でPER100倍。でも、土地の含み益が膨大でQ Ratioで見ると割安」なんて、米国の機関投資家には真顔で説明できませんよ。

この話を黙って聞いている米国人は、たいてい「EPSが100円」で「PERが10倍」だと勘違いしていました。しかもK電鉄の場合、土地の含み益と言っても線路が引いてある土地の話なのでまったく意味はないんですよ。電車の事業をやめるわけではありませんから。