転換社債・ワラント買い、株式空売りの裁定取引

当時は、日本全体の土地の値段が米国を上回るなんて言っていましたし、私も一応、超割高な野村推奨銘柄を客にプレゼンしていました。でも、客からはほとんど「悪魔扱い」でしたよ。帰るときは十字を切られているようなムードでした。

このようにNYでは無茶な営業はできないのに、バブルのピーク近くになると、わざわざ本社から株式部長がやってきました。無理な営業がたたって「腐れ玉だらけ」になってどうしようもなくなっていたのだと思います。

株式部長のK氏は腐れ玉の「関電工」を持ってきて、「お前らで客にハメろ」とわめいていました。

「日本の平均PERは40倍だ。でもそれは伸びる会社、左前になっていく会社のすべてを合わせた平均だからな。関電工は伸びる会社で40倍だから割安だろ?お前らそんな簡単なこともわからんか?これから日本は電線を地中に埋めていくから関電工は高成長企業だ」と言われてもねえ。米国人にはピンとこないよねえ。

株式部長は虚勢を張って偉そうにしていましたが、私は彼の表情から一抹の哀れさを感じ取りました。それがバブル崩壊の予兆だったのかもしれません。

バブルの頂点が近づくにつれ、米国の機関投資家は日本株をほぼすべて売却。もう一切興味を示さなくなりました。

こうして、NYでの日本株営業は、バブルがはじける1989年冬のかなり前からすでに行き詰まっていました。

この頃、私は「ヘッジファンドマネージャーが日本株をショートしている」という記事を見つけます。伝統的な機関投資家、例えば投資信託(mutual fund)や年金基金などは空売り(ショート)はしません。野村證券NYの客のリスト、あるいは見込み客のリストからは勃興するヘッジファンドがすっぽり抜け落ちていたのです。

そのヘッジファンドを訪ねると日本株のショートはほんのわずかで「自分たちが野村の客になるほど日本株に力を入れるとは思わない」と言われました。でも、私は面白いから深掘りしてみようと思いました。

「お前らで客にハメろ」…バブル崩壊前夜! 野村證券の株式部長Kが持ってきた“腐れ玉”案件とは?_3

調べてわかったのは、日本株の借株(ショート、つまり空売りのために、投資家が証券会社などから株を借りること)に膨大な需要があったことです。割高な日本株を空売りたいというニーズは実はあまり多くありませんでしたが、「転換社債・ワラント買い、株式空売り」の裁定取引のための借株需要は膨大でした。

転換社債もワラント債も株価が上がるとそれにつれ値上がりします。でも株価が下がった時には株式ほどは大きく損を出さないお得な商品です。

1980年代後半の日本株のバブル時代は「転換社債・ワラント債の歴史的大量発行の時代」でもありました。事業会社のCFO(最高財務責任者)は接待漬けで証券会社の言いなりで、幹事証券会社を通じて転換社債・ワラント債を大量に発行して資金調達をし、幹事証券会社は莫大な手数料を受け取ります。

一方の事業会社は必要以上の資金を調達しているので、今度は余った現金を日本株の運用資金として同じ証券会社に任せます(特金と呼ばれます)。まさに一石二鳥で証券会社にとっては夢のような時代でした。