「台湾アイデンティティ」の始まり

では、広義の意味での台湾アイデンティティとは何か。その萌芽は日本統治下の時代にまでさかのぼります。

日本が日清戦争で清朝から台湾を割譲させた後、台湾を統治するにあたって、日本人は自分たちと台湾の人々を分けて考えていたわけですね。台湾の人のことを「本島人」、一方で日本から台湾へ来る人たちを「内地人」と呼びました。

それまで清朝の統治下にあった時期は、当然中国との結びつきが強かったのですが、日本の統治下に入ったことで台湾は政治体制的には中国と切り離されて、日本式の社会に変わっていきました。

中華民国旅券のイメージ 写真/AC
中華民国旅券のイメージ 写真/AC

ただ、完全に日本人として扱われたかというとそんなことはなく、やっぱり本島人という身分は一生ついて回ることになった。そこで自分たちが中国人でもなければ日本人でもないという存在であることを意識したわけですね。

ここで初めて台湾という土地を、そして台湾という土地のなかに生きる人々を固定して考える状況が生まれたことになります。

日本の統治が始まると、それに抵抗する民衆蜂起も起こりましたが、やがて日本によるインフラ整備や近代化が行われていくなかで、今度は議会設置など自治を求めていくことを選び始めるわけです。

これが広い意味での台湾アイデンティティの始まりだったと思います。