傷を通して見えない何かやその奥にあるものを撮る

千早 話が少し戻りますが、最初に男性の傷痕を撮っていて、そこから女性の傷に移っていったのは、どういう経緯だったんでしょうか。
石内 男性の傷はポジティブなものだから隠さなくてもいい。けれど、女性の傷はネガティブだし隠さないといけないものとされるからこそ撮りたい、というのが気持ちの中にあったと思います。いちばん初めに撮影した男性は、その傷について自分の生きてきた歴史とともに、事細かに説明してくれました。赤ちゃんのときの傷だから最初は小さかったけれど、自分もそれとともに成長した、と。体が大きくなるにつれて、細胞が増えて傷もどんどん大きくなると聞いて、なるほどと思いました。べつにこちらからは何もたずねないのですが、自ら傷について説明してくれて。男性はまるで自慢をするかのように語ります。
千早 飲み会の席で「昔やんちゃしていて、こんな傷を負った」「小さい頃に木に登ったら落ちちゃって」って活発であった証のように喋りますものね。

石内 戦争体験もそうですよ。男性が受けた傷はある種の勲章だとされて、恩給みたいに捉えられる。自慢できる一つの価値というようなもの。体に対する価値観が女性とは正反対なんですよね。
 傷を撮るときは、事前にどういう傷がありますかとは聞きません。とりあえずうちに来てくださいと言って、来てもらってカメラの前で初めて見るんです。(『INNOCENCE』を見ながら)それで当時、傷痕の女神と後で私が名づけた人を撮影したのですが、羽衣みたいな形をしたすごい火傷の痕でした。赤ちゃんのときにお母さんがストーブの上にのせていたやかんの熱湯がかかってできた火傷の傷で、何回も移植手術をしたそうです。火傷の場合は自分の皮膚を取ってきて移植するんですが、その元の部位も傷痕になる。火傷は本当にたいへん。今考えてみると、よく撮らせてくれたなと思います。
千早 『INNOCENCE』はハードですよね。
石内 同じ写真でも、歳を重ねると見え方がどんどん変わっていくんですよ。だからときどき自分で見返さなきゃなと思いました。

千早 自分で撮ったものなのに?
石内 そう。久しぶりに見てみたら思っていた以上にハードだなと思ってびっくりしちゃった。
 この写真の人は進行性のリウマチを患っていました。今はもう自力で歩けなくて車椅子を使っています。
千早 この本でもリウマチについて書こうか悩んで、結局書かなかったんです。表面的な傷とは違って、ねじれて変形していく病気だから、最終的には今回のテーマからは外れると考えました。
 撮影のとき、男性と違って女性たちはあまり自分の傷について語らないものでしょうか。
石内 いえ、傷をいつ受けて、どういう経緯でそうなったかということだけは聞いていて、それには答えてくれます。それ以上のことは、相手が話してくる場合は聞きますが、私から聞きたい気持ちはあまりなくて。非常にシンプルですね。
千早 石内さんが聞きたいと思わないのは、傷だけに興味があるからですか?
石内 私は傷を撮っているわけではないんです。傷を撮ってはいるけれど、それを通して見えない何かを撮りたいなと思っているので。だから、その人が傷を受けたときの物語にはあまり興味がない。

千早 そういうアプローチなんですね。
石内 反対に、あなたは物語を書いているでしょう。だからそれは写真家と小説家の違いかな。写真は、ある意味ものの表面を撮っているともいえる。目の前の表面にピントを合わせて、それを撮りながらも、実はもっと皮膚の奥にあるものや、感触や気配とかの何かを、撮れなくても撮りたいという願望があるのね。それが大きいかもしれない。
千早 それは物語ではないんですね。
石内 ええ。それはかなり現実的なもので、そこに言葉はあまりいらない。
千早 皮膚というと、2021年に兵庫県の西宮市大谷記念美術館で行われた『石内都展 見える見えない、写真のゆくえ』の展示が好きでした。薔薇の花弁の表面やサボテン、人間の皮膚、物の表面の写真が同じように展示されていて、それを見て、肌もテクスチュアの一つなんだと繫がりました。

石内 あれは最初、横浜美術館から提案されたテーマで、2017年の『肌理(きめ)と写真』の展示になったんだけど、そのときはまだサボテンと傷痕を一緒に並べることはできなかった。そうしたら西宮の学芸員の人が、一緒に展示したいと横浜の学芸員と同じことを言ったんです。そうか、やはりこれはやらなければいけないんだと思って、西宮で初めて一緒に展示しました。サボテンや薔薇や傷は表面という意味では似ているし、横浜のときも当然私の中にその考えはあったけれど、覚悟を決めました。
千早 本の最初に収録している「竜舌蘭」はサボテンの話で、これは石内さんのサボテン好きから着想しました。
石内 私は文学少女ならぬ、サボテン少女だったから(笑)。小学生のときにディズニーの『砂漠は生きている』(1953年/ジェームズ・アルガー監督作品)という長編ドキュメンタリー映画を見て、ものすごく感動してしまって。サボテンの花は夜しか咲かなくて、砂漠の真ん中で誰も見ていないのに美しいシルクのような花を咲かせる。それが本当にきれいなんです。しかも花は一日でしぼんでしまう。それでサボテンが大好きになったんです。

千早 お家もサボテンだらけですよね。
 この本ではカバー写真に石内さんの作品を使わせていただいています。最初に選んだ作品が、どうしてもネガもプリントも見つからないとおっしゃったので、別案を出そうといろいろ見たのですが悩みに悩んでしまって。
石内 でもこれもいいじゃない。
千早 担当編集者が「桃の表面に見える」と言ったので、それに決めました。人間の皮膚なのに、確かに桃の産毛のようなものが見える気がします。ふわふわしている感じ。
石内 これ、男性なんだけどね。
千早 でもあまり性別は感じません。
石内 そうね。性別は関係ないから。

繰り返し再生し傷を治していく生命エネルギー

千早 傷痕を見ると、体がんばったな、生きているなと思います。死人の傷はふさがらず傷痕にならないので。
石内 だから美しく感じます。
千早 そうですよね。自分の意思とは違うものが自分の体にある、その証のような気がしています。私は傷が好きだから、自分が切り傷とか打ち身とか怪我をすると、毎日スマホで写真を撮って治っていく過程を記録しています。それを見ていると、当然ですが、やる気が出ないときや原稿が進まない日でも、傷が変化しない日はないんです。自分の意思に関わらず傷はふさがっていくし、治っていく。それはすごいことであり、恐ろしい。ふと気づいたら茎や幹が伸びている植物のようです。

石内 生命のエネルギーはすごいよね。傷を含めて繰り返し再生していく。やっぱり人間、まだ捨てたものではないと思うんです。この本に対して読者の人たちがどういう反応を示すのかわかりませんが、ネガティブなものが逆にポジティブになっていくといいですよね。フィルムでいうところのネガからポジにね(笑)。
千早 なるほど。ネガからポジは素敵ですね。
石内 フィルム撮影はデジタルと違って、シャッターを切っているときは撮れているかどうか見えないから不安なんです。そのどうしようもない不安がすごくいいの。
千早 不安がいい?
石内 そう。もしかしたら写っていないかもしれないという不安。そして写っているんだけれども、プリントで画像が出てくるまでの感覚と時間の経ち方もすごく楽しい。

千早 多くのキャリアを積まれていても、すべて狙った通りに写るわけではないんでしょうか。
石内 私は狙っていないもん。ピントだけ合っていればいいから。
千早 でも、何かを撮るときは絶対狙ってしまうじゃないですか。
石内 狙っていない。たとえば傷を撮る場合は、そこに傷というものしかないでしょう。だからそこにピントは合わせようとするけれど、たとえ全体に合っていなくてもどこか一ヶ所に合えばいいのです。
千早 わざとピントを合わせていないんですか?
石内 そんなことはないです。何を撮るかというのはあまり考えていないんです。その人の傷はカメラの前で初めて見るわけだから、とにかく驚きのほうが先に来る。びっくりしちゃうわけ。そのときの時間と空間に漂う気配がいちばん大切で、それが写真に写る。
千早 撮影はあまり好きじゃないとおっしゃっていましたね。

石内 すごく苦手。だから撮影には時間をかけません。ぱっと撮ったらやめちゃう。助手もいないから、休憩も挟まないし。
千早 毎日記録のように撮る写真家さんもおられますが。
石内 記録で写真を撮っているわけじゃないから。私にとって写真を撮ることは非日常なの。日常の流れでは撮っていない。非日常を作ることで写真と向き合う、そういう感じがすごくある。だから、写真家とかカメラマンというものではないんでしょうね。
 でも、フリーダ・カーロの遺品撮影のときは、メキシコのフリーダ・カーロ博物館で撮影しなければいけなかったから、フィルムを百本持って行って、三週間くらい集中して撮影しましたね。
千早 あれは私も撮影現場を映したドキュメンタリー映画『フリーダ・カーロの遺品 石内都、織るように』(2015年/小谷忠典監督作品)を見て、すごく根をつめて仕事をされる方だなと思っていたのに、お目にかかったらそんなことはなかった(笑)。

石内 失敗してもう一度メキシコに撮りに行くのが大変だから。あのときは、前半に撮ったフィルムを試しにメキシコで現像してみたんです。事前に現地で現像しないほうがいいと言われていたんだけど、やっぱり見たくて。そうしたら全然駄目だった。こっちも海外で撮るのは初めてで、三週間しかないから緊張していたせいか、本当にひどかった。だからもう一度全部やり直したんです。でも変な言い方ですが、現像所で上がったのを見てから、こういう風に撮っていたんだとわかったというか、自分が撮っている感じがあまりしなかった。空の上からフリーダが「ちゃんと撮りなさい」と言っているようで、ちょっとあれは面白かった。現像所も最初は少しトラブルがあったけれど、最終的には全部メキシコで現像しました。


石内都(いしうち・みやこ)
1947年群馬県生まれ。神奈川県横須賀市で育つ。79年「Apartment」で女性写真家として初めて第4回木村伊兵衛写真賞を受賞。2005年、「Mother’s」で第51回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家に選出される。07年より現在まで続けられる被爆者の遺品を撮影した「ひろしま」も国際的に評価され、13年紫綬褒章受章。14年にハッセルブラッド国際写真賞、22年度に朝日賞、24年に井上靖記念文化賞、「ウーマン・イン・モーション」フォトグラフィー・アワードを受賞。

石内都(いしうち・みやこ)
1947年群馬県生まれ。神奈川県横須賀市で育つ。79年「Apartment」で女性写真家として初めて第4回木村伊兵衛写真賞を受賞。2005年、「Mother’s」で第51回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家に選出される。07年より現在まで続けられる被爆者の遺品を撮影した「ひろしま」も国際的に評価され、13年紫綬褒章受章。14年にハッセルブラッド国際写真賞、22年度に朝日賞、24年に井上靖記念文化賞、「ウーマン・イン・モーション」フォトグラフィー・アワードを受賞。

すべての画像を見る

嫌な人とは会わなくていいし関係を切ってもいい 

千早 聞いてみたかったことがあります。2019年にちひろ美術館で『石内都展 都とちひろ ふたりの女の物語』という展示をされましたが、「ちひろの遺品を撮るという話があったときに、いわさきちひろに全然興味がなかった」とインタビューでおっしゃっていました。興味のないところから母と子の共通点を見つけて、自分の母とちひろを重ね合わせながら遺品の写真を並列して展示されていたんですが、どうやって興味のないところから自分の中に響く何かを見つけているんでしょうか。
石内 難しい質問ですね。新しい仕事というのは発見なんですよ。今まで知らなかったことをどうやって知るのか。ちひろさんと母がまさか同時代を生きていて、年齢も二つしか違わない。しかも二人とも七つ年下の男性と一緒になっていたなんて仰天でしたが、それを知ったのは彼女の文献を全部読んだからなんです。

千早 興味がないと言いながら読むんですね。
石内 それは、引き受けるのは簡単だけど、断るのはすごく難しいから。断るには理由が必要で、そのためには資料を全部読まないといけない。
千早 なるほど。すごく誠実だ。
石内 ちひろさんは働きすぎで亡くなったでしょう。うちの母はそこまでではないけれど車を運転する仕事をずっとしていて、二人とも働く女だった。資料を読んでいくうちに、偶然あの時代に二人の女性に重なるところがあるのを自分で見つけたのね。興味がないからやめるのではなく、断るにはどうしたらいいだろうと考えるのよ(笑)。
千早 とても勉強になります。一般的には興味がないことを断る理由にするほうが多数派な気がします。関心のあることで自分を構築すればそれでいいという人が大勢いますし、私もそうなりやすいタイプなので。

石内 いわさきちひろは有名だから基本的なことは知っていたけれど、彼女の人生についてはほとんど知らなかった。知らないことを知るのは面白いのよ。
千早 私もいわさきちひろの人生とかほとんど知らなかったから、あの展示で知ることができて面白かったです。
石内 それで、あなたは『石内都 都とちひろ』(求龍堂)の本にエッセイを寄せてくれたでしょう。あれ、私は大好きです。
千早 ありがとうございます。あのエッセイは書くのが苦しかったですね。私は母との関係性があまりよくないので、そのことを初めて書きました。
石内 高齢になってくるとだんだんと人と出会うのが面倒になってくるもので、そうすると誰と会うのかを選ぶ基準もはっきりしてくる。だから嫌な人とは会わなくていいと思えるし、今までの関係性を切るのもありだと思います。人間関係が、ある一方ではだんだん少なくなっていき、でも一方で増えるところは増えて、その落差がすごいから、歳を取るのも面白い。若いときにはもう戻りたくもない。今がいちばんいいですね。
千早 なるほど。

石内 私のように歳を取って現役でいる女って少ないのよ。変に目立っているところもあるし。
千早 石内さんはあれは好き、これは嫌いってはっきり言うけれど、愚痴や文句は言わないですよね。
石内 好き嫌いと文句は違いますよね。
千早 そう。それを石内さんとお話しするようになって初めて知りました。ぜんぶ好き嫌いの話だから、遺恨みたいなものがない。
石内 それはたぶんあなたよりも経験しているから。いちばん面倒なのは人間関係で、人間同士の問題がいちばんたいへん。問題は解決できなくても、だんだん好き嫌いがはっきりしてくると、自分で関係を決めることができる。
 やっぱり大病をしてからいろいろ考えたんです。病院って考える時間がたくさんあるでしょう。私が入っていたのは最上階の天空の部屋みたいなところでした。すると空しか見えない。そこで人生についていろいろ考えるうちに、私は誰の言うことも聞いてこなかった、自分勝手に生きてきたんだな、ということがしみじみわかってしまって。これからは他人の言うことも聞こうと思ったんです。親の言うことも一切聞いていなくて、なぜ親は言うことを聞かない私のことを平気で許していたのか、それが不思議だった。考えてみると、親が私に合わせていたんだなと。ひどい子どもだった(笑)。

千早 優しい親御さんだったんですね。私の親はこっちに合わせる気はないし、私も親に合わせる気はないので、すれ違いです。向こうにも言い分があるとは思いますが。
石内 私の父は七十一で、母は八十四で亡くなった。だから、母の年齢まで、八十四までは生きようと思っています。親が生きているときはうっとうしいけれど、亡くなると考えさせられる。私は親に恵まれていたと思います。だって子どもの言うことを全部聞く親なんてそんなにいないと思うから。この歳になって親のありがたみを感じますね。
千早 石内さんからそんな言葉が出るとは。
石内 歳をとるといろいろなことがあります。だから面白い。だって多くの経験をするのは時間がかかるもの。若い頃の経験は本当になんてことなくて、時間とともに経験がどんどん積み重なっていくと、それが初めて自分の身になる。だから長生きは絶対したほうがいい。

千早 うちは長生き家系だから、私もそうかもしれません。
石内 もう一つ、八十四というのは荒木陽子(写真家の荒木経惟の妻)が四十二歳で亡くなったから、その倍を生きようと思ってね。
千早 お友達だったんですよね。
石内 そう。私は陽子さんと同い年で、私も本名が陽子だったこともあって、親しかったんです。だから八十四歳まで生きないと。

三十代の地元の男性たちが集まって行う読書会

石内 先日、旭川市の井上靖記念文化賞の本賞を受賞しました。最初に先方からご連絡をいただいたときに、井上靖の作品を一つも読んだことがないことに気づいて、これはいけないと、芥川賞作品の『闘牛』を面白く読みました。
千早 いわさきちひろのときと同じように、そういう場合はやっぱりきちんと本や資料を読まれてから決められるんですね。石内さんは読書家ですよね。そして読むのがとても早い。
石内 読んでいない本がたくさんあるんですよ。
千早 入院されたとき、お見舞いは何がいいですかとおたずねしたら、本がいいっておっしゃって。それでいっぱい送ったのにすぐに読破されて。

石内 アゴタ・クリストフの『悪童日記』(ハヤカワepi文庫)は、タイトルは知っていたけれど読んだことがなかったの。送ってもらって読んだらびっくりした。あと、『ぼくには数字が風景に見える』(ダニエル・タメット著 古屋美登里訳/講談社文庫)もすごかった。最初にこれを読んだの。それから『観光』(ラッタウット・ラープチャルーンサップ著 古屋美登里訳/ハヤカワepi文庫)ね。私の中に全然ないものが書かれていてすごくよかった。
千早 いいですよね。あれを読むと海外の観光地に行くとき見方が変わります。
石内 デヴィッド・ボウイの百冊って知っている? 彼はいつもコンサートに行くときにトランクに百冊以上の本を入れて持っていっていた。そのリストを、ロンドンのV&A博物館でやった展覧会『DAVID BOWIE is』のときに公開したんです。
千早 以前おっしゃっていましたね。

石内 その百冊を『Bowie’s Books ――デヴィッド・ボウイの人生を変えた100冊』(亜紀書房)という本で紹介していて、その中で読んでいたのは五冊ほど……(笑)。その後読書会でも読んでいます。
千早 地元で読書会をされているんですよね。
石内 子どもの頃は読書にまったく興味が持てなかったんだけどね。今まで読んでいない本を、若い人たちと一緒に読んでいるところです。
千早 定期的にやっていらっしゃるんですか?
石内 月に一度。もう三年目になりますね。そこに来る三十代の男たちが面白いんです。若い人にとって、今はそういう場所がないらしく、困っていたから、じゃあうちでということになって始めました。メンバーはだんだん増えて、今は十人くらい。そのくらいの人数になると、三時間ほど読書会をして、その後六時間くらい飲み会になっちゃう(笑)。

千早 面白そうですね。石内さんに初めてお目にかかったときから、尊敬している人なので緊張しそうなものなのに、なぜかリラックスして話せるんです。不思議。
石内 あなたとはいろいろな話ができて、年齢差もあまり関係がない感じ。
千早 嬉しいです。石内さんといるとすごく楽しい気持ちになります。
石内 私もあなたの小説が好きだから。次の作品のこととか、手紙に書いて送ってくれるし。
千早 いつも必ず感想を送ってくださるから、またそれに返事をしています。
 石内さんは魅力的な方なので、ファッション誌やカルチャー誌に出られているのを見てファンになる人や、写真に関わりのないファンもたくさんおられそうです。

石内 それは、さっきも言ったように女でこの歳で現役だからでしょう。
千早 石内さんほどキャリアの長い人で、写真家として身を立てている人はほとんどいないと思います。商業写真を収入源にしつつ、自分の作品を撮っている女性のフォトグラファーはいても、作品制作だけで生活している写真家は少ない。
石内 それには理由があって、私は若いときに自分でプリントしたものをいっぱい持っているんです。それを世界中の人が買いに来る。特にヨーロッパやアメリカはヴィンテージが歴史を表していることがわかっていて、そこの考え方が日本とは全然違う。だから日本では美術館でも売れないんですが、海外では人気があります。

千早 私は学芸員の資格を持っていて、専門が違うのであまり写真の知識はなかったんですが、惹かれた写真家が石内さんしかいなかったんです。
石内 それはまずいんじゃない?(笑)
千早 写真を見に美術館に行ってもどうも心が動かなかったんですが、石内さんの写真を見たとき、初めてすっと入ってきました。そこから写真に興味が持てるようになりました。
石内 ありがとう。
千早 きょうはじっくりお話しできてよかったです。ありがとうございました。

(2024.3.13 神保町にて)

「すばる」2024年6月号転載

オリジナルサイトで読む