子ども目線で「放課後」を考える

「放課後」の習い事やクラブ活動は、すべての子どもたちが「するべきもの」、「しなくてはならないもの」ではない。「最近の子どもは習い事が忙しすぎて、遊ぶ時間も十分にとることができずにかわいそうだ」といった声を聞くこともあるが、正当な懸念だろう。

先日、首都圏の私立高校に通う学生と話す機会があった。彼の友人は、親の意向で嫌いな習い事を渋々続けているそうだ。

親の年収で子どもの体験に格差…水泳にピアノ、キャンプ…「友だちが行ってるから」では行かせてあげられない厳しい現実_6
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やりたいことができるのは大事。だけど、やめたいと思ったときにやめられることもまた、大事だと思う。

そんな彼の言葉に賛同する。この社会には、望んでいない「体験」をさせられる子どもたちもいれば、やってみたい「体験」があるのにできない子どもたちもいるのだ(させてあげたいのにさせてあげられない親たちも)。

子どもたち一人ひとりに合った形で、一人ひとりが望む形で、放課後の時間を過ごすことができるべきだろう。友達と自由に遊ぶ時間。ぼーっと過ごす時間。習い事をする時間。

それらをどんなバランスで組み合わせたら、目の前にいる「この子ども」にとって良いと言えるだろうか。こうした問いに真摯に向き合い、大人の目線や都合から捉えるのではなく、その子ども自身の目線で、子どもの権利という観点を第一に、一緒に考えていくこと。それが子どもたちに対する、大人たちの責任であるだろう。

文/今井悠介 写真/shutterstock

『体験格差』 (講談社現代新書)
今井 悠介 (著)
『体験格差』 (講談社現代新書)
2024/4/18
990円(税込)
208ページ
ISBN: 978-4065353639

習い事や家族旅行は贅沢?
子どもたちから何が奪われているのか?
この社会で連鎖する「もうひとつの貧困」の実態とは?
日本初の全国調査が明かす「体験ゼロ」の衝撃!

【本書のおもな内容】
●低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」
●小4までは「学習」より「体験」
●体験は贅沢品か? 必需品か?
●「サッカーがしたい」「うちは無理だよね」
●なぜ体験をあきらめなければいけないのか
●人気の水泳と音楽で生じる格差
●近所のお祭りにすら格差がある
●障害児や外国ルーツを持つ家庭が直面する壁
●子どもは親の苦しみを想像する
●体験は想像力と選択肢の幅を広げる

「昨年の夏、あるシングルマザーの方から、こんなお話を聞いた。
息子が突然正座になって、泣きながら「サッカーがしたいです」と言ったんです。
それは、まだ小学生の一人息子が、幼いなりに自分の家庭の状況を理解し、ようやく口にできた願いだった。たった一人で悩んだ末、正座をして、涙を流しながら。私が本書で考えたい「体験格差」というテーマが、この場面に凝縮しているように思える。
(中略)
私たちが暮らす日本社会には、様々なスポーツや文化的な活動、休日の旅行や楽しいアクティビティなど、子どもの成長に大きな影響を与え得る多種多様な「体験」を、「したいと思えば自由にできる(させてもらえる)子どもたち」と、「したいと思ってもできない(させてもらえない)子どもたち」がいる。そこには明らかに大きな「格差」がある。
その格差は、直接的には「生まれ」に、特に親の経済的な状況に関係している。年齢を重ねるにつれ、大人に近づくにつれ、低所得家庭の子どもたちは、してみたいと思ったこと、やってみたいと思ったことを、そのまままっすぐには言えなくなっていく。
私たちは、数多くの子どもたちが直面してきたこうした「体験」の格差について、どれほど真剣に考えてきただろうか。「サッカーがしたいです」と声をしぼり出す子どもたちの姿を、どれくらい想像し、理解し、対策を考え、実行してきただろうか。」――「はじめに」より

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