タクシー運転手をやりきれた理由
――そもそも、タクシードライバーを始めたきっかけは家業の倒産だったとか……。
そうです。地元・埼玉で父親が興した卸業をやっていたのですが、流通変革のあおりで会社が傾いている中、親父が投資で失敗して倒産。大学生の息子と老いた両親を養うために、50歳で資格もない私にはタクシーしかなかったんですよ。
倒産の一番の被害者は母でした。父の借金の保証人にさせられていて、裁判所の被告人席に座らされて泣く母にはかける言葉がありませんでした。振り返ると4人姉妹の次女だった母は物心ついたばかりの頃「ちょっとお泊り」と言われて親戚の養女にされ、結婚すれば父に振り回されて結果は倒産、被告人席です。晩年くらいは守り抜いてやりたかった。
倒産してすぐは憔悴しきってなにかしでかさないか心配でしたが、上京して数年経って、「私の人生で今が一番、幸せ」と言ってくれました。友人もでき、体もまだ元気で、なんの心配もなく暮らせる幸せを味わってもらえたと思います。
そのとき母に「あなたは幸せ?」とも聞かれてね。母の前では気楽に振る舞っていたけれど、明け方のロッカールームで毎日「また長い1日が始まるのか」と重いため息をついていた私には即答ができませんでした。毎日、このまま逃げちゃおうと考えていた頃です。
深夜3時の上野駅のタクシープールで、付け待ちのタクシーばっかりで人がいないとき……。視界になにか動くものが写って「あっ、お客か」と期待したらお客ではなくて。私は一体なにをやってるんだろうなあと思って辛かった。今、思えば母がいなければ15年もタクシードライバーをすることはできませんでした。
――でも、内田さんのお話はどれも軽快で楽しいものに感じます。辛い日々だったドライバー時代をこのように振り返られるのはなぜでしょうか。
いいことも悪いこともあったけど、最後までやり遂げたからですね。苦労した母を守り抜くという目的は果たした。それに、嫌な気持ちはもう本に書いて吐き出しちゃったからかな(笑)。
ただ、タクシードライバーって嫌な目に遭うことはたくさんあるけれど、実際にお客さまを乗せている時間ってほんの少し。苦しいのはほんの一瞬なんです。社内の人間関係もほとんどなくて、人と顔を合わせるのは朝礼で5分、納金で5分の計10分。労働条件さえ改善できれば、こんなに気楽でいい仕事はありません。
人手不足が深刻なようですが、若い人にも心から勧められる職業になってほしいですね。
取材・文/宿無の翁