「一番になるなら都会に出ろ。一流なら田舎でもできる」
オープンから1年後、雑誌『dancyu(ダンチュウ)』で紹介され、その後行列の絶えないお店になる。
2002年には大晦日に日本テレビ系で放送された「史上最大 全国民が選ぶ美味しいラーメン屋ベスト99」で65位にランクイン。とんでもない数のお客さんが毎日行列を作るようになった
「『このままだと死者が出ます』と言われるぐらいの行列になってしまったんです。わずか6.5坪の店でこれはキツいと言いながら一年が経ち、翌年の同じ特番では18位に上がりました。常連さんが奥さんと子どもを連れてきてくれたときにお店に入れないということがあり、それが決定打となりました」
当時のお店では寸胴が一本で、チャーシューを煮ながらスープを作ることすらできなかった。
もう少し広い場所に移り、しっかりお客さんを入れられるお店にしようと移転を決断した。
こうして「五福星」は2006年に泉区へ移転した。お店の周りには何もなく、「五福星」はわざわざラーメンを食べに来る場所になった。
「お世話になっている和食屋の親父さんに『一番になるなら都会に出ろ。一流なら田舎でもできる』と教えてもらいました。田舎でだっていいものを作っていればお客さんが来てくれるんです」
移転後は念願の自家製麺をスタート。スープや具材だけでなく、これですべて手作りのラーメンが作れると意気込んでいた頃、2008年に事件は起こる。
製麺中、事故に遭い、早坂さんは利き手の右腕をすべて失ってしまうのである。懸命のリハビリで早坂さんは復活。右腕を失い隻腕となってから早坂さんの考えは一気に変わっていく
「命を落としかけたことで、体が求めるものこそが美味しいんだということに気づいたんです。それからというもの、味のこだわりよりも本質を追求しようと思うようになりました」
この頃出会ったのが“命の塩”と呼ばれる「ぬちまーす」という塩だ。