伝統だと開き直る
『東京大学新聞』は2019年にもこの問題を特集したが、その際にも女性を排除し続けるサークルが存続していることが判明した*4。
その調査によれば、女性メンバーがいるのにもかかわらず、東大の女性は認めないと明確に回答したサークルが3つあった。加えて差別はしていないとしながらも実質的には東大の女性を選抜段階で排除しているサークルもあり、取材にあたった学生記者は「東大女子の参加を認めないサークルは数個程度しか存在しないということだが、2年間東大で過ごしてきた身としては、実際はそれ以上~数十程度存在するというのが偽らざる実感」と述べている。
同紙上では東大女性の参加を認めないサークルの声が紹介されていた。
サークルAは「私どものサークルでは新歓のビラにも『女子は○○大のみ』からなる(編集注・原文では○○大は大学名)と記載しており、東大女子は参加できないことを明示しています。ただ、なぜ『○○のみ』なのかは私にも不明な点です。
東大女子を入れたいと思ったことも実はありました。ただ入れない理由を聞かれたとしても、伝統としか答えられません。インカレとはそういうものでしょう。(中略)それ故、うちのサークルでは東大女子はおりません。お断りです」と回答。サークルBも同様に、「例年そうなっているため」とサークルの伝統や慣習を理由に挙げた。一方、サークルCは「他大の女子が大勢いる中、東大女子が少数いてもなじめなさそう」と、メンバー間で不調和が生まれるリスクを理由に挙げた。
このように、ここでも女性に対する差別が男性の視点から正当化されている。「伝統」や「常にそう」「なぜなのかは私にも不明」、女性が「なじめなさそう」と開き直ることでこれまでの価値観の再考を拒否しているのである。
同紙では、東大女性を排除するサークルに反発する女性の学生の声も紹介されていた。フットサルサークルのマネージャーになりたいと思っていた法学部3年の女性は入学当初、サークル勧誘イベントでそのサークルを訪れると「東大女子お断りと部屋から出された」という。
「上京して間もなく、地方の高校のためあまり情報もない中そんなことになり、泣きそうになった。何で東大女子なのに東大のサークルに入れないのか、と非常に理不尽に思ったし、東大女子が入れないならせめてサーオリ(引用者註:サークル勧誘イベント)に出店しないでほしかった。それを黙認している東京大学も許せなかった」と述べている。
この学生が「東京大学も許せない」と指摘しているように、東大女性を排除する学生活動は、男性学生だけが批判されるべきものではない。藤田はその調査の過程で「『東大女子お断り』を明確に差別として認識し、嫌悪感を示したのは東大女子のみであった」と指摘しているが、「学生自治」や伝統の名目で差別を許容し、放置する空気は長期にわたり大学全体を覆ってきたのである*5。
引用
*1 湯川次義『近代日本の女性と大学教育教育機会開放をめぐる歴史』不二出版、2003年、492〜493頁
*2 夏目漱石『34郎』新潮文庫、1948年(2011年改版)、32〜33頁
*3 東京大学キャンパス計画室編『東京大学本郷キャンパス140年の歴史をたどる』東京大学出版会、2018年、16頁
*4 『東京大学史史料室ニュース』第47号、2011年11月30日、4頁
*5 東京大学キャンパス計画室、前掲、104頁
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