「『化粧』なんて科目、東大入試にあった?」
ギャンブル漫画『賭博黙示録カイジ』に、「人は金を得るために、人生の多くの時間を使っている。言い換えれば、自分の存在……命を削っている」という有名なセリフがありますが、それと同じように、「高学歴は学歴を得るために命を削っている」わけです。
そりゃ、連絡も「こちらの案件、進捗どうですか」になっちゃうわけです。確かにこんな連絡、学生時代に部活をやって先輩後輩の礼儀を学んでいたらダメだとわかるものですが、「そういう機会がなかったんだからしょうがない」と割り切るしかない話なんですよね。
「勉強ではうまくいっていたのに、社会に出てから全然うまくいかない」と高学歴自身も考えることが多いですが、それは単純に、受験勉強や大学の研究と企業で求められているスキルが違うので仕方のないことなのです。
ですから、もう、仕方ありません。
もしあなたが「高学歴の部下を持ってしまった上司」なのであれば、あなたの部下が「労働者としての能力」「同僚としての能力」に欠陥があるのは、もう仕方がないことだと一旦諦めてください。
だって一概に、その人が悪いとは言い切れないのですから。
機会がなかったから学べなかった、というのは当たり前の話です。
個人的な話になりますが、昔、東大の女友達が美人なのに化粧を全然しない人だったので、「〇〇さんは化粧しないの?」と聞いたことがありました。そのとき返ってきた答えは「何言ってるのよ。『化粧』なんて科目、東大入試にあった?」です。
僕は「お前こそ何を言っているんだ」と思いましたが、しかし彼女の言う通り、勉強の代わりに別の部分のスキルを得る機会がなかったのですから、こればっかりはもう、しょうがないのです。だって、高学歴になるための試験には「社会人スキル」や「コミュニケーション能力」がないんですから。
重要なのは、高学歴の人に「労働者としての能力」「同僚としての能力」を身につけてもらうための工夫を、我々の方が心がけてあげることです。
当たり前ですが、初めから「労働者としての能力」「同僚としての能力」が完璧な人はなかなかいません。彼ら彼女らが「専門家としての能力」のスキルを努力で身につけた通り、努力で「労働者としての能力」「同僚としての能力」も身につけてもらう必要があります。
大変そうに思うかもしれませんが、きっと大丈夫です。みなさんが向き合っている人たちは、その能力を得る機会を別のところに当ててしまっていただけで、これから努力すれば挽回できるはずです。むしろ、学ぶ能力自体は高いので、しっかり教えてあげれば平均以上のスキルを発揮してくれるはずです。
もし、どんなに教えてもどんなに指導しても2つの能力が身につかないのなら、それはもう、高学歴とか全然関係ない問題です。シンプルにその人がいい人材ではないというだけです。そういう時は素直にあなたの上司に相談しましょう。
文/西岡壱誠