日本語能力の低い外国人児童への対応は…

「1つ目は、子どもたちがとにかく文章を書けないことです。地域差もあるとは思いますが、本を読む子が少なくなってきているせいか、文章を書かせてみると、解読困難なものがあがってきます。うちのクラスは30人前後で、半数はそんな子です。文章の書き方は、一人一人に個別で指導しないと上手く教育できないケースも多いので、そんなことをしてたらいくら時間があっても足りません」(同じ学年の先生方とも前出の小学校教員)

それに付随して2つ目の問題が、子どもに恥ずかしい思いをさせるかもしれないという懸念である。

卒業文集は同学年の子どもだけじゃななく、さまざまな人が見るうえ、一生残るものだからこそ、人に見られて恥ずかしくない内容かを教師は意識しなければならない。1つ目の根本的な問題点がある中での、この2つ目の問題をクリアすることは、かなりハードルが高くなるそうだ。

「3つ目は、外国人児童が増えたことです。日本語の読み書きや会話ができる子から、まったく日本語が話せない子までいます。日本語の読み書きのできない外国人児童の親は『卒業文集をムリに書かせなくてもいいです』という方もいます。

もし、それでも書かせたいとなった場合、通訳を介して児童の話を聞き取り、教師が文章を書き起こして作っていく作業をしなければなりません。しかも最近は国籍も多様化していて、1人の通訳では対応しきれないパターンもあるので、とにかく時間がかかってしまいます。地域によっては、外国人児童はクラスに2〜3人いるため、これは珍しいことではありません」

写真/shutterstock
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通訳を介してのリスニングと文字起こしとは、もはや教職とは別の専門職の仕事になる。これを通常業務とは別の時間で行なうと考えたら、確かに気が遠くなるような作業だ。

「4つ目は、ミスが許されないこと。卒業文集は一生残るものだからこそ、教師は何度もチェックをします。そしてそのチェック作業は、担任→学年職員→主幹教諭または教務主任→教頭→校長の順で厳重にされるのです。文集は一人一人がそれなりの文字数で、私の学校は6年生は120人以上いるので、その量を内容だけでなく、誤字脱字とか表記に注意しながらすべて読むのにはかなり時間がかかります」

ミスが絶対に許されない背景には、保護者からのクレーム対策も関係しているという。それで教師が責められるリスクを回避するためにも、慎重なチェックがなされているのだ。