高まるハリウッド映画の胎動
創刊号の5月号の表紙を飾ったカトリーヌ・ドヌーヴの次は、永遠の妖精オードリー・ヘップバーン。その後、キャンディス・バーゲン(『愛の狩人』1971)、ジャクリーン・ビセット(『ブリット』1968)、ナタリー・ドロン(『個人教授』1968)ジョアンナ・シムカス(『冒険者たち』1967)、ジェーン・フォンダ(『コールガール』1971)、フェイ・ダナウェイ(『俺たちに明日はない』1967)が続いている。
ヨーロッパの女優が大勢を占めるなかで、注目すべきはジェーン・フォンダとフェイ・ダナウェイだ。ふたりはアメリカ女優であるだけでなく、「アメリカン・ニューシネマ」のミューズたちだ。 アメリカン・ニューシネマとは、1960年代後半からはじまったアメリカ映画のムーブメントで、『イージー・ライダー』(1969)や『俺たちに明日はない』『真夜中のカーボーイ』(1967)『ワイルド・バンチ』(1969)など、従来のハリウッド方式に逆らった作品を表す総称だ。
社会がベトナム戦争や公民権運動などで揺らぐなか、若い映画作家たちが反体制的な価値観やヌーヴェルヴァーグに刺激を受けた表現手法を用いて、意欲的な作品をつぎつぎと生み出していた。
アメリカン・ニューシネマの代表作のひとつ『卒業』(1967)は、1968年に日本で封切られ、サイモン&ガーファンクルの楽曲とともに、社会現象といえるほどのヒットとなった。「ロードショー」の創刊も、『卒業』をきっかけに若い洋画ファンが急増したことと無縁ではないだろう。実際、創刊号の特集「さすらいのヒーロー ピーター・フォンダ ダスティン・ホフマン他」では、アメリカン・ニューシネマのスターたちを取り上げている。
アメリカン・ニューシネマでデビューを飾ったスターやクリエイターたちは、のちにハリウッドの映画産業の中核を担い、世界的なヒット映画を量産していくことになる。実際、この年の最大のヒット作『ゴッドファーザー』(1972)はスタジオ映画ながら、メガホンをとったのは低予算映画出身のフランシス・フォード・コッポラだった。
ハリウッド映画が世界を席巻するその前夜に、「ロードショー」はその一歩を踏み出したのだ。