ハイテク産業の国

イスラエル社会は、もともと社会主義的な発想を抱いた人たちが作った国であった。欧州で農地の保有が困難だったユダヤ人は、農地で農業を行うことに憧れ、共同農場であるキブツをつくった。与党は建国から30年にわたりずっと労働党だった。建国からしばらく、イスラエル経済は農業を中心に回っていた。

しかし、状況は様変わりしている。いまではハイテク産業を中心とした中東で最も豊かな国である。次々と生まれるハイテクベンチャー企業の隆盛により、中東のシリコンバレーと呼ばれている。国民所得の平均は5万ドルを超え、日本の4万ドルを上回る。

豊かになったイスラエルでは、国民の多くは手間のかかる農業への興味を失っている。キブツで働いているのは、20年ほど前までは西岸やガザなどから来たパレスチナ人などだった。しかし、イスラエルはパレスチナ人によるテロをおそれ西岸に壁をつくり、ガザを封鎖して人の移動を厳しく制限するようになった。

代わりに東南アジアからの出稼ぎ労働者が目立つようになった。エルサレムでは、フィリピンやタイから出稼ぎに来ている人を多く見かける。タイ人は3万人ほどが農業労働者などとしてイスラエルで働いている。今回、ハマスの人質に多くのタイ人が含まれていたのはそのためである。

イスラエルがハイテク国家になった背景には、まず、ユダヤ人の勉強好きがある。古来からユダヤ人に対する悪口は多いが、少なくとも勉強をしないという批判は聞いたことがない。そして、この勉強好きの国に、高度の教育を受けた多数の人々が押し寄せた。旧ソ連からである。冷戦が終わる前後に現在のロシアやウクライナから100万人規模のユダヤ移民を受け入れた。大半が、高度な教育を受けていた。それがイスラエルの貴重な財産となった。

現在、日本の経済界が「高度人材」などという不器用な日本語で言及している層の人々である。イスラエルの総人口が1000万程度だから、人口の1割の高度人材を吸収した計算になる。ハイテク産業を浮上させる大きな力となった。

三つ目に軍や諜報機関の役割を指摘したい。イスラエルには、技術で国を守るというコンセプトがある。軍でハイテクに才のありそうな人材を見出し育てる制度がある。徴兵された若者の中でITの才能のある者は、サイバー部隊に配置される。中でも8200部隊は国際的にも超精鋭として知られる。そうした部隊で訓練を受け経験を積んだ後に、除隊した若者たちがベンチャーを立ち上げる例が多い。

そして、そこで生まれた先端のテクノロジーが、軍事と民生で使われる。両者の境界は必ずしも明確ではない。生体認証やセンサー、ドローンなどでは、イスラエル発の技術が多い。こうした技術がガザの監視にも使われている。日本の自衛隊や経済界の中にも、こうした優れた技術を活用するためにイスラエルともっと協力すべきだとの声が出ている。

ユダヤ人の「ホロコースト」の記憶を呼び覚ました23年10月のハマスの奇襲。中東最強の軍隊を持つイスラエルの“安全神話”はなぜ崩れたのか?_3
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ネタニヤフの評判は悪いが、それでも政界に長らく君臨してきたのは、このような経済の発展がある。ネタニヤフは政府の規制を撤廃し、弱肉強食の市場原理主義、つまりネオリベラリズムを推し進めた。一方では、ハイテク産業が牽引して国のGDPが上がり、世界から投資が集まった。他方で、貧富の格差は拡大した。特にコロナ禍や度重なる紛争により、観光業は壊滅的な打撃を受けた。2021年のデータでは、国民の約3割が経済的苦境にあるとされている。

またハイテク産業の興隆は、国民に富と自信を与えると同時に、テクノロジー依存症ともいえる心理を蔓延させた。テクノロジーに守られているから安全だとの幻想を生んだ。それを10月7日のハマスの奇襲が打ち砕いた。

写真/shutterstock

#1 ハマスによる攻撃の背景
#2 スマホが伝えるガザの悲劇 ジョブスのルーツは中東

なぜガザは戦場になるのか - イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側(ワニブックス)
高橋和夫
ユダヤ人の「ホロコースト」の記憶を呼び覚ました23年10月のハマスの奇襲。中東最強の軍隊を持つイスラエルの“安全神話”はなぜ崩れたのか?_4
2024/2/8
1089円
256ページ
ISBN:978-4847067006
激化するイスラエルのガザ地区への攻撃。
発端となったハマスからの攻撃は、なぜ10月7日だったのか――

長年中東研究を行ってきた著者が、これまでの歴史と最新情報から、
こうした事態に陥った原因を解説します。

・そもそもハマスとは何者なのか
・主要メディアではほぼ紹介されないパレスチナの「本当の地図」
・ハマスを育ててきた国はイランなのか、イスラエルなのか
・イスラエル建国の歴史
・反イスラエルでも一枚岩にならないイスラム教国家
・アメリカが解決のカギを握り続けている理由
・ガザの状況を中国、ロシアはどう見ているのか
・本当は日本だからこそできること

など、日本人にはなかなか理解しづらい中東情勢について
正しい知識を得るためには必読の一冊です。
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