「自発的な」移動などではなかった
この勝利によってイスラエルは、イギリスの委任統治下にあったパレスチナの約78%を支配下に収めた。戦争により、国連決議案を上回る領土を手に入れた。残りの22%はガザ地区とヨルダン川西岸地区であった。
そして前者はエジプトが、後者はヨルダンが支配下に入れた。ガザがエジプトの支配下に入った点についてはすでに言及した。そしてエルサレムは東西に分割された。歴史的地区を含む東エルサレムをヨルダンが、西エルサレムをイスラエルが制圧した。
この戦争に勝ちユダヤ人国家が生き残った。シオニストの夢がついに実現した。しかし、パレスチナ人にとっては悪夢の始まりであった。この過程で70万人を超える多くのパレスチナ人が難民となった。アラビア語では、この事件は「ナクバ(大惨事)」として知られ、パレスチナ難民問題の原点になっている。
イスラエルは、難民が故郷に戻るのを妨げ、難民の残した家や土地を没収し、新たにヨーロッパや中東各地から移民してきたユダヤ人に与えた。ヨーロッパでマイノリティー(少数派)であったユダヤ人たちは、マジョリティー(多数派)のキリスト教徒による迫害を受けた、被害者であった。しかしヨーロッパでは被害者であったユダヤ人たちが、パレスチナでは加害者となった。
なぜパレスチナ人が故郷を離れたかに関して、イスラエル側は以下のような説明をしている。アラブ諸国が、攻撃をかけるので避難するようにとラジオで呼びかけた。それに応じてパレスチナ人は、自らの意志で移動した、というものであった。難民となったパレスチナ人自身の説明は、異なっている。逃げ出したのは、シオニストの軍隊により生命を脅かされたからである。「自発的な」移動などではなかった、とパレスチナ難民は証言している。
実際、第一次中東戦争が始まる以前に、シオニストの軍がパレスチナ人の村で人々を虐殺したという記録もある。また、21世紀になってから、少数ながらイスラエルの元兵士たちが、実はパレスチナ人を殺害したとか、脅かして追い出したとか証言するようになった。